山村千鳥のモデル・村田栄子は本当に厳しい人だったの?

朝ドラ「おちょやん」の中で、とても厳しい役者として山村千鳥(若村麻由美)が描かれています。そのモデルである村田栄子(むらたえいこ)さんはどんな人だったのでしょうか。

実際に、「おちょやん」で描かれているように紙を投げつけたり、芝居に厳しい人物だったのか。村田栄子さんの人生を見ていきます。

 

また、後半には「おちょやん」の山村千鳥と村田栄子さんがどのように異なるのかも併せてみていきたいと思います。

村田栄子の人生

村田栄子さんは、浪花千栄子(竹井千代・杉咲花)さんの師匠にあたる役者になります。

村田栄子
氏名:村田栄子(むらたえいこ)
生年月日:明治23年10月12日

村田栄子さんは、明治40年に台湾在住の医者と結婚して台湾にわたりますが3年で離婚して日本に帰ってきます。

村田
すべてを忘れて、もう一度花咲かせたい

そう言い、帰国後は女優を目指します。しかし、なかなかうまくいかない日々を過ごします。初舞台を踏んだのは、俳優学校の近藤さんの支援があってからでした。

村田
今、思えば田舎に引っ込んでいた方がずっと楽でした。

そして、明治後期から大正初期にわたって世の中は、活動写真が流行していました。テレビやラジオがない中で、村田栄子さんは地方巡業の舞台を繰り返していました。

しかし、そんなある日に村田栄子さんが所属していた劇団が東北地方の巡業中に突然、解散してしまったのです。そこから村田栄子さんが世にでるまでは、相当の時間を要します。

新人女優から結婚

村田栄子さんが脚光を浴びるのは、大正3年になってからのことでした。当時、「新日本劇」に所属しており、劇団で一番演技が上手いのは村田栄子だと評判になります。

その後、当時劇作家として人気であった門脇陽一郎さんと出会い結婚をします。そして、大正5年には劇団を新しく立ち上げます。

 

劇団「村田栄子一座」の座長になり、京都の三友劇場をメインの舞台として旗揚げをします。おちょやんのモデル・浪花千栄子さんと出会ったのは、昭和元年ころになります。

浪花千栄子との出会い

浪花千栄子さんは、村田栄子一座に入り弟子になります。初めての役はとても小さなものでした。しかし、「正ちゃんの大冒険」の舞台で村田栄子さんは肺炎を起こし倒れてしまいます。

舞台公開までの時間がなかったため、若くてセリフを覚えていた浪花千栄子さんに主役が回ってきました。しかし、舞台の本番に浪花千栄子さんは台詞を飛ばしてしまいます。

 

浪花千栄子さんは、それをごまかすために飛んだり跳ねたりしてなんとかその場をやり過ごします。それが観客に受けました。

こうして浪花千栄子さんは、女優として認知度を得ることになります。「浪花千栄子」の芸名は、この際に村田栄子さんからつけてもらったものです。

 

村田栄子さんよりも、「千」栄えるようにという願いをこめてつけてもらった芸名なのです。浪花千栄子さんが村田栄子さんに命名されたのが35歳のことでした。

村田栄子の最後

村田栄子さんが得意とする十八番は「舞扇」でした。浪花千栄子さんは、村田さんの「舞扇」を見て演技の本質を学びます。

ただ、弟子の浪花千栄子さんにとっては、師匠の村田栄子さんは癇癪もちだったので厳しくあたられたといいます。それだけ、村田栄子さんは浪花千栄子さんにも厳しい演技指導をしていたのです。

 

その後、村田栄子さんの厳しさから側をたくさんの人が離れていきますが浪花千栄子さんも東亜キネマに移籍します。

そして、村田栄子さんは最後まで自分の一座で「舞扇」を演じ続けます。地方巡業(金沢)で「舞扇」を演じた舞台で倒れます。宿泊先の旅館で亡くなりました。

 

それは、昭和2年12月16日で37歳の若さでした。

村田栄子と山村千鳥の違い

ここからは、朝ドラ「おちょやん」の山村千鳥と村田栄子の違いについて見ていきたいと思います。おちょやんは、浪花千栄子さんをモデルにしているためかなり近く描いています。

浪花千栄子さんが京都のカフェーで働いている時に、村田栄子一座に入り女優になったのはモデル通りになります。

 

また、ドラマの中で大きな話題になった山村千鳥の厳しさは、モデルの村田栄子さんも同様でした。この辺りはモデル通りに描いています。

逆に異なるところもあります。「正ちゃんの大冒険」は朝ドラの中でも描かれています。しかし、それを提案したのは清子(映美くらら)になっています。

 

また、主演も清子がしようとしていました。その点は、村田栄子さんが主演をしようとしていたので異なりますね。

ただ、最終的に浪花千栄子さんが主人公をすることになったのは事実なので、この辺りは「おちょやん」でも史実通りに描かれていると思います。

 

村田栄子さんは、どうしてもお芝居に厳しいプロ意識をもっていた女優でした。この点は、朝ドラの山村千鳥も描かれています。

そのため、周囲からは癇癪と言われることが多分にあったのかもしれません。でも、実際には当時から高いプロ意識をもっていた女優であったといえるのではないでしょうか。