おちょやん鶴亀家庭劇モデルのホント!ウソ?

このページは、NHKの朝ドラ「おちょやん」の中で主人公・千代(杉咲花)が所属する鶴亀家庭劇モデルである松竹家庭劇ついてくわしくお伝えします。

鶴亀家庭劇は、一平(成田凌)が座長で、千之助(ほっしゃん)が中心の一座になっています。そこに、千代らの俳優が参加する形でスタートしています。

 

では、鶴亀家庭劇のモデルになっている松竹家庭劇と鶴亀家庭劇は、実際とどのように違うのでしょうか。鶴亀家庭劇と松竹家庭劇のホント、ウソということで見ていきます。

鶴亀家庭劇と松竹家庭劇の参加理由

朝ドラ「おちょやん」の中では、千代は岡安で働く際に女優・高城百合子(井川遥)と出会い、女優に憧れを持つようになります。

父・テルヲ(トータス松本)の借金のせいで、京都に行ってからは女中になりますが、そこで女優を本格的に目指します。山村千鳥(若村麻由美)のもとで、修行をします。

 

その後、山村千鳥一座が解散をして鶴亀撮影所に紹介されます。そして、鶴亀撮影所の中で社長・大山(中村鴈治郎)の声で、一平(成田凌)が座長の喜劇一座・鶴亀家庭劇に入りました。

一方、「おちょやん」のモデル・浪花千栄子さんは、9歳から道頓堀で奉公をしていましたが、そこで女優になろうという意識はまだありませんでした。

 

父に別の奉公先に案内されて、そこから逃げるために京都にやってきて、そこでカフェーの女給から女優を目指すようになります。

山村千鳥のモデル村田栄子から演技の指導を受けると、浪花千栄子さんは頭角をメキメキとあらわし、やがて劇場の支配人に映画会社を紹介されます。

 

劇団運営も苦しかったことや、村田栄子の後押しもあり浪花千栄子さんは、東亜キネマに入り月給35円という高額の給与の映画女優になります。

この東亜キネマが、鶴亀撮影所のモデルになっています。なので、おちょやんの千代は鶴亀撮影所に入るまでは、経緯は異なりますがモデルの通りです。

 

ただ、鶴亀撮影所に入った後がやや異なります。東亜キネマに入った浪花千栄子さんは、銀幕デビューを果たし、看板女優に成長していきます。

ここは「おちょやん」の千代とは異なります。また、東亜キネマを辞める理由も異なりました。浪花千栄子さんは、東亜キネマを自分から退職しています。

 

それは、ドラマでも描かれていましたが東亜キネマは不景気で役者がどんどんリストラされていきました。大部屋の端役も大量にリストラされました。

その頃には、スターになっていた浪花千栄子さんでしたが、端役でも頑張っているものをリストラし、上に媚を売る者だけを残したと感じたことが理由でした。

 

それに納得がいかずに、浪花千栄子さんは東亜キネマを退職しています。しかし、すでに名前の売れていた浪花千栄子さんには、仕事が入ってきました。

市川百々之助の相手役に指名され、帝国キネマに入ったのです。帝国キネマは、大阪にあったのでこの時に道頓堀に浪花千栄子さんは戻ってきました。

 

しかし、帝国キネマは組織がしっかりしてなく、役者を大切に扱わないようなところがありました。そのため、浪花千栄子さんは帝国キネマもすぐにやめてしまいます。

その後、浪花千栄子さんはフリーの女優になり、初めて岡嶋(朝ドラの岡安)に居候するようになります。このあたりは、おちょやんの中では描かれていませんね。

 

その後、ようやくおちょやんの一平(成田凌)のモデル2代目・渋谷天外と会います。この頃、渋谷天外も岡嶋に居候していたのです。

そこに、渋谷天外さんが曾我廼家十吾(千之助モデル)と松竹家庭劇を立ち上げ、浪花千栄子さんは誘われて入ることになりました。

 

おちょやんの千代は、鶴亀家庭劇に社長の大山に言われて入りましたが、モデルの浪花千栄子さんは渋谷天外(一平のモデル)に誘われて松竹家庭劇に入っています。

鶴亀家庭劇と松竹家庭劇の芸

朝ドラ「おちょやん」の鶴亀家庭劇では、一平は笑いだけじゃないものを伝えたい。脚本に沿った内容にしたいと考えています。

千之助さんに頼るのではなく、自分の脚本であったかホームコメディにしたいと考えています。それは、これまでの喜劇とは異なるものです。

 

喜劇は、千之助が言うようにとにかく面白ければいい。という概念が基本にあります。しかし、一平はそれだけじゃない、自分と重ね合わせられるものにしたいという思いがありました。

これは、鶴亀家庭劇のモデルになっている松竹家庭劇も同じです。朝ドラ「おちょやん」がモデル通りに描いているところです。

 

松竹家庭劇は、喜劇に加えてホームドラマの要素を加えた「泣いて笑える」新しい喜劇を目指していました。

その新しさが受けていました。ただ、それが万人に受けるものではなく一部の人だけに受けるものでした。なので、一代ムーブメントのようなものはおきませんでした。

 

その辺りは、喜劇王と言われた曾我廼家五郎(万太郎/板尾創路モデル)とは異なるところです。また、鶴亀家庭劇では一平が座長をつとめています。

しかし、この立ち上げ時の松竹家庭劇は、千之助(ほっしゃん)モデルの曾我廼家十吾が座長を務めています。

 

渋谷天外は、曾我廼家十吾の天性の才能を認め、それを後押しするような脚本を描いていました。いわば、右腕のような存在です。なので、この辺りも異なると思います。

松竹家庭劇のその後

松竹家庭劇は、立ち上げ当時はその新しい方向性が受け人気になりますがコアな一部の人気があっただけにとどまりました。

やがて、なれてくると飽きられてしまい客席も空席が目立つようになってきます。1300人収容の客席が半分も埋まらなくなってきます。

 

そのため、地方巡業にでたり東京でも公演をしたりと工夫を凝らしてなんとか劇団を続けていきます。この間に、渋谷天外と浪花千栄子は結婚します。

しかし、人気が低空飛行のままの状況が続き、昭和6年に松竹家庭劇は解散します。解散理由は、曾我廼家十吾と渋谷天外の不仲だと言われています。

 

立ち上げが昭和3年で解散が昭和6年なので、わずか3年での解散です。しかし、解散から半年後のことです。

白井松次郎(おちょやん大山社長モデル)が、渋谷天外と会いもう一度、曾我廼家十吾とタッグを組み松竹家庭劇をするよう命じます。

 

今度は、渋谷天外の脚本は自由に書けず曾我廼家十吾のキャラクターに合わせたものに、白井から命じられていました。

そして、十吾のキャラクターを全面に出したことで人気が継続するようになります。その後、戦争が間にあり、興行がなかなか思うようにいきません。

 

昭和21年に入り再び、曾我廼家十吾と渋谷天外が喧嘩をして袂をわけることになります。きっかけは、すき焼きの食べ方です。

伊勢の巡業中に、それでもめ決別に至ります。渋谷天外は、妻の浪花千栄子を連れ新しい劇団「すいーと・ほーむ」を立ち上げます。

 

曾我廼家十吾は、松竹家庭劇を続けますが昭和23年に松竹に大きな動きが起きます。それは、曾我廼家五郎(万太郎/板尾創路のモデル)が亡くなったのです。

このことで、松竹は五郎一座、松竹家庭劇、すいーと・ほーむを統合して「松竹新喜劇」を立ち上げます。

 

ここには、座長・曾我廼家十吾だけでなく渋谷天外も浪花千栄子も参加したのです。後年には、藤山寛美らも頭角を現し広く人気を獲得していきます。

まとめ

ここまで、朝ドラ「おちょやん」の中の鶴亀家庭劇とそのモデルになっている松竹家庭劇の違いについてみてきました。

朝ドラ「おちょやん」については、まだ先が不明なところがありますので今後も違うところやモデルの通りのところが出てくると思います。

 

その時には、修正してお伝えしていきますので、是非ブックマーク登録してくださいね。ちなみに、今回の「おちょやん」は過去の朝ドラよりもモデルに近い感じて描いていると思います。

こういった形で、ドラマのモデルを追っていくと「おちょやん」を楽しくみることができますね。鶴亀家庭劇モデル松竹家庭劇のその後の比較については、もうしばらくお待ちください。

 

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