双浦環(柴咲コウ)のモデル・三浦環はどんな人だったの?

2020年前期のNHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「エール」の中で登場する双浦環(柴咲コウ)の実在モデル三浦環(みうらたまき)さんについてこのページでは書いています。

「エール」の主人公である古山裕一(窪田正孝)は古関裕而さん、古山音(二階堂ふみ)は古関金子さんをモデルとしています。

 

今回取り上げる三浦環さんをモデルにしている双浦環は、古山音が憧れる人物になります。では三浦環さんと古関金子(こせききんこ)さんは接点があったのでしょうか。詳しく見ていきましょう。

国際的なオペラ歌手

三浦環さんは、日本人による初めてのオペラ公演を成功させた人物です。その後、世界的なオペラ歌手として欧州各国で活躍していきます。日本人が当時世界的な活躍をするとは、相当の快挙だったと思います。

三浦環さんは東京に生まれています。人は育った環境によってその後の人生が変わりますが、三浦環さんは3歳で日本舞踊、6歳で長唄・筝を習い始めました。音楽的な素養はここから身につけていったことが分かります。

 

学校も東京女学館、東京音楽学校へと進学しました。ピアノは滝廉太郎、声楽を幸田延、バイオリンはアウグスト・ユンケルにそれぞれ学んでいます。

そして、父親の勧めもあって結婚しますが後に別れているので、単純に合わなかったということでしょう。このように、若い時に色々と経験していることが人間の幅に広がっていったのだと思います。

 

三浦環さんはオペラ歌手として有名ですが、そもそもオペラとはどのようなものなのでしょう?オペラは音楽と演劇によって構成する舞台芸術です。「蝶々夫人」「イリス」など、演目は多くあります。

イメージとして、声量がなければ通用しない世界でしょう。舞台上で優雅に踊りながら、美しい声で歌い上げる。まさに芸術です。見るものを魅了し、聴くことでも魅了する、オペラには感性が求められます。

 

三浦環さんは三浦政太郎さんと再婚し、夫とともにドイツへ留学します。その後、第一次大戦が起きたためイギリスへ逃れ、イギリスから世界デビューを果たすのです。

欧州各地を周り公演回数2000回を達成したころ、日本に帰国します。日本でも活躍しますが、当時は戦争の足音が背後に迫っている時代でした。そして終戦の翌年、1946年に亡くなっています。波乱の人生でした。

古関裕而との関係

三浦環さんと古関裕而さんにはどのような関わりがあったのでしょう?奥様の古関金子さんが声楽を志しており憧れをもっていました。

古関裕而さんの「船頭可愛や」を三浦環さんが聴いて歌いたいと話したのが関わりをもったきっかけです。海外の芸術家のレコードには、青いラベルが貼られていました。

 

古関裕而さんの発表した作品の中に、青いラベルが貼られたものは2枚です。いずれも三浦環さんが歌ったものでした。世界的にも認められた歌手を歌い手として作品を出せるという、名誉的なものが強く感じられます。

三浦環さんについてここまでお話してきましたが、朝ドラ「エール」では、双浦環として柴咲コウさんが演じます。女優として数多くの作品に出演し、演技力が高く評価されています。

 

「ガリレオ」「GOOD LUCK」「Dr.コトー診療所」「信長協奏曲」「オレンジデイズ」など、ドラマはどれも人気作品です。特に、大河ドラマ「おんな城主 直虎」では大河ドラマ初出演で主演でした。

歌手としても海外活動を始めており、三浦環さんの雰囲気を出せる女優さんだと思います。注目して、朝ドラ「エール」を観ていきましょう。