このページは、朝ドラ「なつぞら」のモモッチこと森田桃代(伊原六花)のモデルになっている保田道世(やすだみちよ)さんについて紹介します。

モモッチあのモデルがどんな作品に携わってきたのか知りたいです。

はい。それをこれからお見せしますよ^^

楽しみです。

後半には、「なつぞら」のモモッチと保田道世さんの違うところもみていきます。その前に、まずは保田道世さんがどんな人なのかを一緒に見ていきましょう。
保田道世はどんなアニメーターなの?

保田道世さんは、1939年に東京で大学教授の娘として生まれます。保田道世さんは、保育園のころからお絵描きが大好きな子供でした。

そこから、どうやって東映動画に入ったのですか?

高校を卒業して、なんとなく東映動画に入ったの。

美大とか行こうとは考えなかったの?

両親が離婚して、母親に引き取られたけど・・・その後に父親も亡くなって、進学する経済的余裕がなかったの。

それで、東映動画の仕上げ課に入ったの?

そう。銀行の受付やデパートは自分には向いてないと思って。でも、アニメーションがどうとか仕上げがどんな仕事かわかっていたわけではなくて。

アニメーターになりたいって入ったわけではないんですね。

そうそう。アニメーターがどんな仕事かもわかってなかった。

どの作品から仕上げに携わったんですか?

「白蛇伝」から。何も知らずに入ったんだけど、仕事が楽しくてね。

それからテレビ班に異動になったのですか?

「白蛇伝」からはだいぶたってたけど、テレビがこんなになるとは思ってなかった。だって、毎週1本の放送なんて考えられなかった。でも、話をもらったときチャンスだと思って。

どんな作品から携わったのですか?

東映動画の最初の作品の「狼少年ケン」からです。その後は、独立したプロダクションからヘッドハンティングの誘いがあったけど、なんか違うと思って東映動画に残りました。
高畑勲との出会い

それからですか?高畑勲さんとの出会いは?

高畑勲さんや宮崎駿さんとの出会いは、実は仕事関係じゃないんです。

どういうことですか?

その頃の東映動画は大きくなっていて、課が違ったら何をしているのかわかりませんでした。だから、2人に出会ったのは労働組合でした。

2人は、労働組合運動に熱心だったそうですね?

高畑勲さんは、副労働委員長、宮崎駿さんは書記長をしていました。私は、労働組合で2人にいろんなことを教えてもらったんです。

例えばどんなことですか?

トレースの仕事の重要性とか。それから、トレースの仕事を本気でするようになったのよ。

その後ですか?2人とお仕事するようになったのって?

そう。あっちこっちに、人事で異動させられてね。でも、「太陽の王子・ホルスの大冒険」のトレースをやらせてもらったことが大きかった。

保田道世さんのトレースは凄かったと聞きます。

2人から大事なところは任せてもらいました。でも、結果的に「太陽の王子・ホルスの大冒険」は売れなくて・・・。

たくさんの人が処分を受けることになりましたよね。
東映動画を退職後の再会

そう、それがきっかけとなって、たくさんの人が辞めていって。

保田道世さんも移籍したんですか?

保田道世さんは、その次の作品「長靴をはいた猫」のチーフ・トレッサ-をした後に東映動画を退職したの。

どこかから誘いがあったのですか?

そういうわけではなくて、なにか違うことをやってみたくなって・・・色々とやってみたんだけど。

やっぱりアニメの世界が良かったんですか?

大塚康生さんは、宮崎駿さんから保田道世さんが東映を辞めたことを聞いてたみたいで。大塚康生さんに誘われて、もう一回アニメ業界に戻ってくることになったの。

それからすぐですか?高畑勲さんや宮崎駿さんがAプロダクションに入ってきたのって。

「長靴下のピッピ」を撮る予定でやってきたのですが、中止になって・・・大塚康生さんのルパン三世を高畑勲さんと宮崎駿さんでやっていましたね。

保田道世さんも「ルパン三世」に携わったのですか?

第1シリーズは担当していました。その後は、高畑勲さんや宮崎駿の「パンダコパンダ」、「パンダコパンダ・雨ふりサーカス」のトレースを担当しました。

でも、しばらくして高畑勲さんと宮崎駿さんはすぐにAプロダクションを退職します。一緒についていこうと思わなかったんですか?

Aプロダクションの労働組合の副委員長になってしまったので、その任期を終えるまではと思っていて。

ついていくのって、迷いますよね。

2人が移籍したズイヨー映像が遠いところに移転しちゃって。面倒だなって。でも、「アルプスの少女ハイジ」がすごくよくできてて、迷いましたね。

それでも、高畑勲さんについていったわけですね。

最終的には、飛び込んでいったけど、それまでは仕事が徹夜になるとかって聞いて・・・悩みました。それでも、ハイジを見て思い切って決意しました。

結果的に、ハイジのトレースを担当したんですよね?

うん。でも、やっぱり仕事が忙しくなって徹夜が続くようになって。

そこから、色彩の仕事も手掛け始めたのですか?

本来は、美術の仕事なんだけど、ズイヨー映像ではそのあたりは曖昧になっていて。そこから勉強するようになったの。

色彩の仕事は、どんな作品で携わったのですか?

「フランダースの犬」や「母をたずねて三千里」で色指定をするようになって、色彩全部を担当したのは「未来少年コナン」が初めてだったかな。
2人がまたしても移籍

そこからまた、2人がいなくなってしまうんですよね。

宮崎駿さんがカリオストロの城を作るために移籍して、高畑勲さんもその後に続いて「テレコムアニメーションフィルム」に移籍したんです。

保田道世さんも移籍を考えますよね?

実際に高畑勲さんから誘われたんだけど、会社も良くしてくれていたから断ってしまった。

それから、ナウシカの話が来たんですか?

そう。当時はテレビアニメをやってたから無責任に出来ないと思っていたけど、プロデューサーに相談すると両方やればいいと言ってくれて。

じゃあ、両方やっていたんですか?

うん。「ナウシカ」と「ミームいろいろ夢の旅」の二刀流で。

それがきっかけでフリーになったのですか?

2つ同時進行したので、会社に迷惑をかけてしまったので不安はあったけど、フリーになりました。
スタジオジブリへ

フリーになった後、すぐにジブリに入ったのですか?

フリーで一つ「天使のたまご」を受けました。その後に「ラピュタ」からジブリの社員になりました。

ジブリの社員になってからは、誰もがしる作品ばかりで。印象に残っている作品ありますか。

「火垂るの墓」と「となりのトトロ」もダブルヘッダーしたので、きつかったです。

最初からダブルヘッダーだったのですか?

最初は、「火垂るの墓」だけを担当する予定だったのですが、「となりのトトロ」の方の担当者が急にキャンセルされたらしくて。両方することになったんです。

それからは、ジブリの作品をほとんど担当する形ですか?

「魔女の宅急便」、「おもひでぽろぽろ」、「紅の豚」、「平成狸合戦ぽんぽこ」、「もののけ姫」、「ホーホケキョ・となりの山田くん」「千と千尋の神隠し」、「崖の上のポニョ」、「風立ちぬ」等を担当しました。

ジブリ作品の多くにかかわっていますよね。この中で、特に印象に残っている作品はありますか?

一番を選ぶことはできないけど、「もののけ姫」は特に印象に残ってる。

たくさんの中で、なぜ「もののけ姫」が印象に残っているのですか?

全部にエピソードはあるんだけど、「もののけ姫」はパソコンを導入して色彩を描くことになったから。

それまでは、使ってなかったのですか?

CGのところだけ使っていて、他は調整程度だったんです。でも、仕上げの枚数が膨大で納期に間に合わないって時に、パソコンを5台導入して、デジタルペイントしました。

それが印象的だったんですね。

デジタル化は、もう避けられないと思って、それ以降はデジタルペイントを使うようになりました。それが印象的でした。
なつぞらのモモッチと保田道世の違い

朝ドラ「なつぞら」の中で、モモッチはアニメ業界にはなんとなく就職したと話していましたね。

なので、東映動画に入るきっかけというのは同じですね。ただ、途中からやる気を出したのは、なつ(奥山玲子)がきっかけではなかったみたいですね。

なっちゃんとの出会いよりも、高畑勲さんや宮崎駿さんがきっかけでしたね。

モモッチが、高畑勲さんをモデルにしている坂部(中川大志)を見る目は尊敬に見えるので、保田道世さんそのままが描かれる可能性が高いですね。

だったら、今後坂部と一緒に東洋動画を退社することになるのかな?

その可能性が高いけど、その前に宮崎駿さんをモデルにした神地(染谷将太)の登場が先かなって。

そうだね。いずれにしても、モモッチも今後の漫画映画の世界では重要な役割を果たしそうだね。

スタジオジブリの影の支配者って保田道世さんは言われているぐらい偉大な人だからね。

今後、モモッチの動向からも目が離せないですね。