このページは、朝ドラ「なつぞら」の下山克己(川島明)のモデル・大塚康生(おおつかやすお)さんについて紹介します。

下山さんのモデルになっている大塚康生さんがどんな人なのかは気になります。

バーン。バーン。

また、後半に「なつぞら」の下山克己と大塚康生さんがどう異なってるのか。どのように描かれているのかも見ていきます。

楽しみです。
大塚康生はどんなアニメーター?

大塚康生さんは、1931年(昭和6年)に島根県に生まれます。幼い頃から、絵をたくさん描く子でした。小学生の頃に、勉強の環境を考え山口県に引越します。

学校をあまり好きでなかったそうですが?

絵が好きで、機関車を見て絵を描いて家にも帰らず夢中に描いていたので、学校もよく休んでいました。

怒られなかったのですか?

先生に、すごく怒られたよ。久しぶりに家に帰ったら、先生にいきなり殴られてね。

この頃の機関車の絵がアニメーターを目指すきっかけですか?

アニメーターになるきっかけではないけど、この頃に機関車の仕組みをよく知ったことから基礎にはなったんだと思う。ただ、その頃の夢は機関車の操縦士でした。

違う絵は描かなかったのですか?

終戦を迎えてからは、機関車からジープに興味が変わり、ジープばかりを描いていました。

仕事は、してなかったのですか?

あと少しで高校卒業だったけど、その前に山口県庁に就職したんだ。

絵とまったく関係ない仕事ですか?

うん。総務だったので、絵は関係なかったよ。

そこから、どうアニメーターになっていくのですか?

働きながら、政治漫画に興味をもってね。当時は、働きながら持ち込みをしてたよ。

それが採用されたんですか?

全然。でも、政治漫画で食っていきたいと思ってね。東京に行こうと考えてた。ただ、当時は「都会地転入抑制緊急措置令」があったから。

「都会地転入抑制緊急措置令」ってなんですか?

簡単に言うと、東京で働く先が決まってないと東京に引越しできないってもの。だから、厚生省に応募してね。

絵と関係なくですか?

まずは、東京に転入する必要があったので、先に厚生省で勤務することになります。

厚生省では、どんなことしていたのですか?

マトリ。麻薬Gメンの仕事をしていた。

その間も、絵の勉強はしていたのですか?

厚生省の仕事をやめて政治漫画で食べていきたいと思っていたので、塾に入ったり勉強は続けていたよ。

政治漫画からアニメーションに興味が変化したきっかけは、なにですか?

フランスアニメ「やぶにらみの暴君」を見てから、政治漫画よりもアニメに興味を持つようになったんだ。
東映動画に入社

そして、東映動画ですか?

うん。東映動画が募集してて・・・応募して。森康二さんに認められて。

合格したんですね。

でも、給料がマトリの時の半分もなかったのでびっくりしました。

東映動画に入社してから、どんな作品に携わったのですか?

「ねこのらくがき」に参加して、「夢見童子」、「かっぱのぱあ太郎」、「ハヌマンの新しい冒険」の後に「白蛇伝」だったかな。

精力的に、いろんな作品にかかわっていますね。

当時は、原画が出来る人がいなかったので、セカンドの私たちはかなり忙しく、いろんな作品に参加させてもらったよ。白蛇伝のころには、だいぶ原画の仕事も任せてもらえるようになってたと思う。

「白蛇伝」の後に原画に昇格したのですか?

次の「猿飛佐助」から原画担当に昇格したんだ。その後、「西遊記」、「安寿と厨子王丸」の原画を担当させてもらったんだ。
東洋動画を退社

作画監督をするようになったのは、労働紛争が終わった後からですか?

そうだね。1968年の「太陽の王子・ホルスの大冒険」から作画監督をするようになったよ。

この作品で、高畑勲さんを演出に推薦したんですよね?

上司の人たちからは、まだ早いって言われたんだけど・・・反対を押し切ってね。でも、十分なサポートをすることができなくて、結果的に高畑勲くんにも迷惑をかけてしまった。

でも、いち早く高畑勲さんの才能を見抜いていたんですね?

そうだけど、私は監督タイプではなく、アニメーターの方が向いていると実感した作品だった。

「太陽の王子・ホルスの大冒険」はヒットせず・・・その後、大塚康生さんは東映動画を退社しました。
移籍後のルパン三世

東映動画を退社して、どんな作品に携わっていたのですか?

「Aプロダクション」に移籍したら、そこで「ルパン三世」を制作していてね。

「ルパン三世」のチームに加わったのですか?

「ルパン三世」の会議に参加して、そこから原画に参加したんだ。しかし、「ルパン三世」は企画がとん挫して。

なぜ、とん挫したんですか?

当時は、アニメは子供向けだったんだけど、「ルパン三世」はそうではなかった。だから東宝が買ってくれなくて。

そうなんですね。とん挫している間は、どんなことをしていたのですか?

テレビアニメ「ムーミン」や「巨人の星」などの作画監督をしていたよ。その後、ようやく「ルパン三世」が日の目を帯びることになってね。

そうなんですね。

読売テレビがテレビアニメとして放送開始してくれたんだ。この作品は、大塚康生さんの拳銃の知識やジープの絵などがフルに活用された作品になったんだ。

今でも続く誰もが知っているアニメですよね。

ただ、当時は「巨人の星」のようなスポコン漫画が流行していたので、視聴率がテレビ局で最低を記録してね。子供向けへと変更されてしまうんだ。結局23話で打ち切り。

でも、再放送でヒットするんですよね?

そうそう。ルパンの方が他のスポコンアニメより作りこまれていたから、見てもらえればヒットするとは思っていたんです。

再放送がきっかけで、第2シリーズも放送されるよになりましたもんね。その後、カリオストロの城も担当したんですよね?

うん。最初、カリオストロの城は断ろうと思っていたんだ。自分のルパン像と異なるので。

では、なぜ「カリオストロの城」の仕事を受けたのですか?

宮崎駿さんから連絡があってね。宮崎さんが監督をするからって。それで決めたんだ。宮崎駿さんとは、実は「ルパン三世」のテレビアニメの最初に一緒に作っていたんだ。

そうなんですね。

ただ、「ルパン三世カリオストロの城」は興行収入が不調で人気を獲得できませんでした。今は、人気のカリオストロの城なので、公開当時はまだ世の中が追いついてなかったのかもしれません。

その後も「じゃりン子チエ」などに携わった後に、大塚康生さんは後進の育成に力を注いでいます。
なつぞらの下山克己と大塚康生の違い

ここからは、「なつぞら」の下山克己と大塚康生さんの違いをご紹介します。

ほとんど同じですけど、違うところもありますよね。

例えば?

下山は、警察官出身ですが大塚康生さんは、警察ではなく厚生省の麻薬取締官の補助を仕事としていました。ここは異なりますね。

ただ、絵がずっと好きで東映動画に入ったところや「白蛇伝」に携わっているところは同じですね。

セカンドってところも同じで、モデルの大塚康生さんを下山克己はほぼ忠実に再現していると思います。

下山は、なつの理解者だけに、今後東洋動画から移籍するのかどうか気になるところですね。

アニメーション編では、かなりモデルを忠実に再現していますので今後別々の道になりそうですね。今後の下山克己がどうなるのか楽しみですね。