このページは、NHKの朝の連続テレビ小説「なつぞら」の坂場一久(中川大志)のモデル・高畑勲(たかはたいさお)さんについて紹介します。

「なつぞら」では、坂場くんがカチンコがうまく出来ないぐらい不器用なところを見せていますが、どんな情熱を持った人なのか気になります。

アニメの世界で知らない人がいないほどの人物ですので、くわしくみていきたいと思います。

すごく楽しみです。

後半には、坂場と高畑勲さんの違いなども見ていきたいと思います。
高畑勲はアニメの巨匠

高畑勲さんといえば、「アルプスの少女ハイジ」、「赤毛のアン」などのテレビから、「火垂るの墓」や「おもひでぽろぽろ」などの映画で有名ですよね

そうですね。宮崎駿さんと一緒にアニメ映画を牽引してきたアニメ界の巨匠ですよね。そんな高畑勲さんのことを教えてくれるんですよね。

高畑勲さんは、1935年三重県で生まれます。小学生になり、父の仕事により岡山にうつり住みます。

岡山で人生で最も衝撃的な体験をしているんですよね?

岡山で空襲を受けてね。家族と離れ、姉と一緒になんとか逃げたんだ。

戦争を体験していない私たちからすると、すごい体験だなって。

この体験があったから、映画「火垂るの墓」につながるんだと思います。

東京は、いつから?

大学で東京に上京したんです。そこで、フランスのジャック・プレヴェールの作品に魅せられた。

それが、漫画映画の世界に飛び込むきっかけなのですか?

まずは、ジャック・プレヴェールの和訳を仕事としてやってね。

その当時、フランス語を全部訳せたのですか?すごいですね。ちなみに、大学はどちらですか?

東京大学文学部でフランス科を専攻していました。

それで、訳せたんですね。漫画映画の世界に入ったのは大学卒業後ですか?
東洋動画へ入社

そう。大学卒業後東洋動画に入社しました。

最初から、演出をやりたかったのですか?

絵を描けるわけではないので、演出助手の募集に応募したんだ。

東映動画では、どんな作品の演出を手掛けたのですか?

「わんぱく王子の大蛇退治」で演出助手をして、「狼少年ケン」が演出家のデビュー作。その後に、「太陽の王子ホルスの大冒険」の演出監督をしています。

「太陽の王子ホルスの大冒険」公開後に、たくさんのアニメーターなどが移籍をしています。どんな理由があったのですか?

「太陽の王子ホルスの大冒険」の興行がふるわずに、降格処分が多くの人になされました。興行成績だけでなく、スケジュールの遅れなどもその原因でした。

高畑勲さんは、労働組合の副労働委員長をされていたんですよね?

当時は、会社に不満を募らせている社員が多かったから。結果的に、移籍することになったけどね。
東映移籍からの活躍

東映を移籍した後に、高畑勲さんは「Aプロダクション」、「ズイヨー映像」、「テレコムアニメーションフィルム」に移籍をします。

Aプロダクションでは、どんな作品に携わったのですか?

Aプロダクションでは、大塚康生さんが原画を担当している「ルパン三世」の演出をやらせてもらった。その後に、映画「パンダコパンダ」を担当しました。

この頃から、宮崎駿さんと一緒ですよね。

そうそう。彼は、最初はアニメーターだったんだけど、演出をやりたいということで一緒にやることが増えたよ。

その後、ズイヨー映像にも宮崎駿さんと一緒に移籍しましたね?ズイヨー映像では、どんな作品の演出をされたのですか?

ズイヨー映像では、「アルプスの少女ハイジ」、「母をたずねて三千里」、「赤毛のアン」などを担当したよ。

「アルプスの少女ハイジ」が大ヒットしましたね?

当時は、「巨人の星」のようなスポ根ものがテレビでは人気でね。「ハイジ」は、普通の少女の日常で・・・反対もあったけど、やらせてもらったことが大きかったですね。

その後、テレコムアニメーションフィルムに移籍していますよね。どんな作品を演出したのですか?

「じゃりン子チエ」の話でテレコムアニメーションフィルムに入りました。その後は、「NEMO/ニモ」にも参加してたんだけどね。体制が整わなかったので、降板したんだ。
スタジオジブリ発足

そして、「ナウシカ」、「ラピュタ」、に続いていくわけですね。

「ナウシカ」と「ラピュタ」はプロデューサーをさせてもらいました。

スタジオジブリになったのは、ナウシカからですか?

「ナウシカ」は、トップクラフトで制作したのだけど、「ラピュタ」の時には解散しててね。だから、新しくスタジオを作ろうとなって、ジブリが誕生したんだ。

高畑勲さんは、ジブリの立ち上げ時から在籍していましたが役員になっていないのはなぜですか?

作り手は、経営の責任とは別という考えをもっていたんだ。

だから、役員への就任を断っていたんですね。ジブリ設立後では、どんな作品を制作したのですか?

「火垂るの墓」や「おもひでぽろぽろ」、「平成狸合戦ぽんぽこ」などで監督をしています。

誰もが知っている作品ですよね。
宮崎駿との関係

高畑勲さんといえば、よく語られるのが宮崎駿さんとの関係です。

私も興味あります。

宮崎駿さんは、高畑勲さんの後輩です。東映動画での作品だけでなく、労働組合で副労働長をしていた高畑勲さん。書記長をしていた宮崎駿さん。ここで、宮崎駿さんは高畑勲さんの考え方に触れ大きく影響を受けます。

その後、ずっと一緒に映画をつくっていますよね。

ラピュタ以降は、作品を一緒につくることは無くなっています。しかし、宮崎駿さんが映画をいつも一番に見せたかったのは、高畑勲さんだったといわれてるぐらい高畑勲さんを尊敬してたのです。

ライバルでも仲間でもあり、お互いが相手のすごいところを認め合っている関係なんですよね。

興行収入とかで比較されることもありますが、そういう次元でお互いは考えてないということですね、きっと。
坂場一久と高畑勲の違い

ここからは、朝ドラ「なつぞら」の坂場一久と高畑勲さんの違いについてみていきます。

違うところをまっさきに思いついたのは、東大の学部。坂場は、哲学を専攻していたというので異なりますね。

他には、ないですか?

まだ、「なつぞら」では出てきたばかりというところがあるので難しいですね。

逆に同じところは、ありますか?

演出家であるところや「わんぱく王子の大蛇退治」で演出助手になったところは同じですね。

では、今後の楽しみなところはどんな点ですか?

一部、インターネットでは「なつ」の結婚相手が坂場ではないかと言われています。

高畑勲さんは家族関係を明かしてないですよね?

はい。ただ結婚してお子さんもいるそうで・・・。

ただ、奥山玲子さんと結婚はしてないですよね。ただ、恋愛する可能性はあるかな。

そうです。恋愛に発展するのかどうかを見て欲しいです。あと、宮崎駿さんのモデルの登場も楽しみですね。

盟友・宮崎駿さんがどのように描かれるのかというのも楽しみですね。