真田幸村(さなだゆきむら)、歴史にはあまり詳しくないという方であっても、一度は耳にしたことはあると思います。最近は歴史に関心をもつ若い方を増えており、それに伴い、漫画、アニメ、ゲームなどで戦国時代に焦点を当てた作品が数多く発表されていますよね。
真田幸村(堺雅人)は、天下統一や地方統一を収めたわけではなく、そのような目的を達成された大物と比較すると派手な経歴はありません。しかし、そんな経歴がないにも係らず、これらの武将と同等、時にはそれ以上の人気を誇っています。
あまりに人気に、2016年のNHK大河ドラマ化して、現在高視聴率で放送していますよね。基本どの作品でも、正義・熱血漢・仁義・武士など、男子の心を揺さぶる熱い呼称で表現される、この大人気武将。
そこで、真田幸村の最も代表的な戦いの一つの大阪冬の陣についてご紹介しています。この大人気武将の大阪冬の陣での活躍はあまりにも有名なのでもしかしたら、あなたは知っているかもしれません。
それは、1614年の大阪冬の陣といえば、関が原の合戦を経て、ほぼ豊臣秀吉(小日向文世)に次ぎ天下統一を手中に収めた徳川家康(内野聖陽)。
徳川・豊臣合わせて30万人の大戦!!
家康が豊臣家の滅亡を図るため、全国から配下の大名を動員し、約20万の大軍勢で11月に大阪城を包囲した戦国時代屈指の戦です。
このとき、豊臣の軍勢は約10万人と半分になっています。その戦の中で、真田幸村は、豊臣家に招かれ入場し、徳川を迎え撃つことになります。
しかし、兄の真田信之(大泉洋)や叔父の真田信尹(栗原英雄)など真田一族の多くが徳川方についていました。そのことも起因し、招かれたとはいえ、あまり立場や待遇などは良くなかったと言われています。
徳川勢を蹴散らした真田丸!!
そのような状況の中で、この戦では城外に「真田丸(直径およそ200メートルの半円形の砦)」を築き、興奮奮闘するわけです。これが2016年の大河ドラマのタイトルにもなっていますよね。
難攻不落と言われた大阪城も南側だけは敵の侵入を防ぐ川も水堀もない弱点だったため、幸村はそこに真田丸をつくります。自身の戦慣れした優秀な兵で戦いの最前線に立ち、徳川勢の攻撃から大阪城を守ったのです。
ちなみに、大阪冬の陣での徳川勢の戦死者のうち、およそ8割は、真田丸での攻防で討たれたといわれるほど、この真田丸攻略に徳川勢が苦戦したことが伺えます。
そして、その真田丸を築いた真田幸村という戦国武将が如何に知略にも優れた、真のモノノフであったかがわかると思います。こういった弱者が強者に向かっていく姿が人気をよんでいるんですね、きっと。
歴史にIFはないですが、豊臣の上層部が少しでも、真田幸村を重宝し意見などを聞いていれば、もしかすると歴史は変わっていたかもしれませんね。
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