天陽の父(戸次重幸)モデルの神田要一はどんな人なの?

このページは、朝ドラ「なつぞら」で、天陽(吉沢亮)の父・山田正治(戸次重幸)のモデルとなっている神田要一(かんだよういち)さんがどんな人物だったのかご紹介します。

神田要一さんの人生を一言でいうと不運が連続する人生です。世の中には自分が不運だと嘆く人が多くいますが、ここまで不運な人生はそういないでしょう。不運な中生き切った人生を振り返ります。

 

また、後半に「なつぞら」の山田正治と神田要一さんがどのように異なっているのか。同じところはどんなところがあるのかを見ていきます。

神田要一とは?

神田要一さんは栃木県に生まれて、呉服屋に勤めていました。真面目な働き方だったようで、暖簾分けをされることになりましたが関東大震災が起こり店自体潰れてしまいます。

その後も服飾関係の仕事をして、自身のお店を構えるまでに至ります。このお店も結局は空襲によって焼けてしまい、営業できない状況になってしまいます。

 

疎開・食糧確保の観点から拓北農兵隊の募集があり応募します。そして、家族とともに北海道へ移住するのです。

しかし神田要一さんの家族が疎開先の北海道鹿追町に着いた翌日、日本は敗戦を迎えます。

 

その後も鹿追町で農業に従事しますが、火事によって家を失うなど不運の連続があり最後まで不運な人生だったと言えるでしょう。

このように神田要一の人生は不運の連続でしたが、子どもには名を残している人物がいます。「なつぞら」に登場している山田天陽は神田日勝さんをモデルとしているのです。

 

農業でも芳しくない状況でしたが、馬を購入しその馬も騙されて老馬だったという不運が重なります。

ここまで不運だと、諦めてしまいそうでしたが懸命に生きたからこそ神田日勝さんが名を残したともいえるでしょう。

山田正治と神田要一の違い

朝ドラ「なつぞら」の山田正治は、農業を諦めて十勝を出ようとしました。馬を購入するも騙されて、うまくいきません。ただ、それを救ったのが天陽でした。

天陽と、なつで泰樹(草刈正雄)にお願いして物事がうまく進みはじめます。なので、モデルの神田要一さんに近く描いているところは多々あります。

 

農業がうまくいかない。馬をだまされて買ってしまったというところは、まさに神田要一さんが陥った状況と同じです。異なるのは、それを助けた泰樹が実際にはいないということです。

子供が二人いますので、必死に生活をしていったことは間違いないと思います。なつぞらの中でも、正治がひっしに生活していったことが描かれていました。

 

なにもかもうまくいかなくて、諦めていたところが描かれていました。そのあたりも、きっと事実に基づくところなのだと思います。なので、大枠では山田正治は神田要一さんどおりに描かれています。

 

神田要一さんは、生涯苦労し続けた人生ですが2人の子供を残し立派に育てたという事実だけは代わりありません。「なつぞら」の中で、今後の正治がどのように描かれるのか注目したいと思います。