朝ドラ「なつぞら」の中で、ヒロインなつ(広瀬すず)と仲の良い山田天陽(吉沢亮)。そのモデルである神田日勝(かんだにっしょう)さんがどんな人物なのかをこの記事ではお伝えしています。
今回ご紹介する神田日勝の人生は短かったですが、短い人生の中に芸術という分野で輝きを放った人物でした。詳しくみていきますね。
また、後半ではモデルになっている神田日勝さんと、なつぞらの山田天陽がどのように異なるのか。同じところや違うところがどういったところにあるのか見ていきます。
神田日勝とは?
神田日勝(かんだにっしょう)さんは、1937年に東京で生まれています。なぜ北海道に住むことになったのかというと、戦争による戦禍から逃れるためです。
日勝さんには兄がいますが、兄もまた芸術分野に才能を有しており東京芸大へ進みます。
神田日勝さん自身は農家を継ぎますが、それでも絵を描き続けました。19歳の時、帯広で開かれた公募展で見事入賞を果たし、その後も作品を次々と生み出していくのです。
日勝さんの遺作でもあるでもある「馬」は、現在柳月のクッキーに描かれているので身近に見ることが可能となっています。神田日勝は芸術家として名を残していますが、命は長くありませんでした。
32歳で亡くなってしまうという、儚い運命と言えます。本人はどのように感じたのでしょう?
長男・長女が誕生してからまだ間もなく、妻と子ども2人を残してなくなるという人生は未練があったと思われます。
絵の才能も認められていたので、現在でも神田日勝記念美術館にて見ること可能です。絵は残されたとしても、残された家族は生活が厳しかったでしょう。
農家を継ぎ、才能を活かして絵を描き続けた日勝ですが、人生は思い通りにいきませんでした。
神田日勝と山田天陽の違い
神田日勝さんの経歴を見ると、なつぞらの中の山田天陽はかなり忠実に描かれている方だと思います。同じところがとても多いですね。
まず、北海道に移り住んだ理由。これが戦争でというのは、なつぞらの天陽も同じでした。また、農家を継いでからも絵を描くところは、山田天陽とまったく同じ。
しかも、馬の絵を描いているところまで同じになっています。農業をしながら、賞をとるというのも天陽と同じように描かれていますね。
なので、本当に忠実に描かれていると思います。しかも、兄が東京芸大に行っているところまで同じになっています。ここまでくると、完全にモデルといってもいいと思います。
ただ、違うところも出てくると思いますので・・・山田天陽が短命に描かれるのか?ここのところは、おそらく違ってくるようになるでしょう。
神田日勝さんは32歳という短命であり、山田天陽と奥原なつとの関係がどうなっていくのかが一番気になる部分です。物語として二人が結婚するとハッピーエンドになると思っています。
そうなると、さすがに短命にはならないのではないか。そんなことを個人的には予想しています。短命でしたが、芸術分野において功績を残した神田日勝さん。
山田天陽は果たして、なつと結婚するのか。それとも、短命に終わってしまうのか。なつぞらのこのあたりのところに注目したいと思います。楽しみですね。
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