よつば乳業創業者である太田寛一さんは、農業と酪農のために奔走していました。ではなぜ困っている農家・酪農家をそこまで助けようとしたのでしょう?そこには父の姿が見え隠れしています。太田寛一さんの父こそが、太田茂一です。
NHK連続テレビ小説「なつぞら」では、草刈正雄さんが柴田泰樹役を演じていますが、この人物のモデルが太田茂一になります。ドラマの柴田泰樹と、実際のモデル太田茂一双方を見ていくことでドラマで伝えようとしていることがよりよく知れるでしょう。
なので、この記事の後半では柴田泰樹とモデルになっている太田茂一さんの相違点についても詳しくみていきたいと思います。まずは、太田茂一さんがどんな人物なのかを一緒にみていきましょう。
太田茂一とは
岐阜県の出身である太田茂一は、開拓民として明治38年北海道に入植します。農民として入植したわけではなく、職業は大工です。入植しても、住む家がなければ生活できませんから大工は必要な人材だったのでしょう。
一度帰郷して、結婚後再度両親も誘い北海道へ戻ってきています。大工として仕事をしていましたが、ただの大工ではなく棟梁だったのでお金お貸してほしいと、頼られることが多くありました。
しかし借金は返済されず、太田茂一の借金だけが膨らんでいきます。開拓者は日々の暮らしをしていくのに精いっぱいで、借金まで返せる余裕はありません。
返せないのが分かっていても、同じ開拓者として見ていられなかったのでしょう。頼られればお金を貸し、ついには貧乏が元で妻の太田ハルを死なせてしまいます。
環境だけが厳しいわけではなく、生活面においても厳しい現状がありました。酪農家にとって牛乳は生活していくための収入源ですが、昭和30年代は明治・雪印・宝の各会社が勢力争いを演じており、牛乳は安く買いたたかれていたのです。
息子の太田寛一は農協に勤めていましたが、各会社へ一元集荷多元販売を提案します。これは農協が各会社へ適正価格での買取を促すという側面もあり、酪農家に歓迎されました。
「なつぞら」の中では農協と柴田泰樹の対立が描かれていますが、実際に太田茂一と農協は対立していたので事実を元にしています。このように山あり谷ありの人生を太田茂一は送ったのです。
泰樹と太田茂一の相違点
朝ドラ「なつぞら」の中で、泰樹は強面です。ヒロイン・奥原なつ(広瀬すず)にも厳しいけど、頑張る人には一番優しい人物です。開拓者として厳しい環境で働いてきた人物ならではの強さとたくましさがありますよね。
それをキャストの草刈正雄さんがより、引き立てているように思います。このように、朝ドラでは柴田泰樹を描いていますが、太田茂一さんとどういったところに相違点があったのでしょうか。
基本的に、泰樹はモデルの太田茂一さんに忠実に描いているように思います。貧しいことが原因で、妻を亡くしているという点は「なつぞら」でも描かれていましたね。
前述した太田茂一と農協が対立していたというのも事実ですから、そういった意味で大事な部分はモデル通りに描かれていることがわかります。ただ、細かなところで違うところもあります。
太田茂一さんは岐阜からの開拓民ですが、泰樹は東北から開拓に来たという設定になっています。また、親子関係が異なりますね。太田寛一さんは、子供になりますよね。
でも、ドラマの中では柴田泰樹の子供は富士子(松嶋菜々子)になっています。なので、泰樹と太田寛一さんのモデル・剛男(藤木直人)は義理の息子になっています。
なので、大枠はモデルどおりで少し前提の設定が違っているということがわかると思います。これからも、泰樹には開拓民の太田茂一さんの強くたくましいところを出していって欲しいですね。
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