このページでは、真田信繁(堺雅人)の兄・真田信之(大泉洋)について書いてるページやんねんな。2016年に大河ドラマの主役を努めるのは真田信繁やんな。真田信繁は幸村で知られてはることが多いねんけど、本名は真田信繁と言うねんな。
せやから、今回の大河ドラマでも真田幸村ではなく、真田信繁として描かれるねんな。真田信繁は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した戦国武将やってんな。
真田幸村の名前はどこにもあれへん?
幸村の名前は直筆の書状を始め、生前の資料では使われてへんねんな。一般には本名である信繁よりも幸村の名が広く知られてんねん。大坂の陣では豊臣側の武将として活躍し、特に夏の陣では徳川家康(内野聖陽)の本陣まで攻め込むなどの猛攻を見せんねんな。
その勇猛果敢さや天下人に最後まで抗った武将として非常に人気があんねん。実際の活躍を元に軍記物や講談、小説が多く創作されてんねんな。最近でもゲームや漫画などで数多く取り上げられてんねん。
真田家は信繁の祖父である真田幸綱の頃から、甲斐の武田信玄に仕えててんね。せやけど、天正10年(1582年)に織田・徳川連合の進行により武田家は滅亡すんねんな。
真田家はその後台頭してきた豊臣秀吉(小日向文世)政権に帰属し、大名として独立することになんねんな。その後、信繁は豊臣の軍師である大谷吉継の娘を妻に迎えています。
真田信繁(幸村)は実は次男!長男は?
実は、この誰もが知ってはる真田幸村は真田昌幸の次男やねんな。せやから真田昌幸には長男がいてんねん。兄は名を真田信之と言うねんな。信之は、晩年に信之に名を改名してんけど、ずっと名は信幸と名乗っててんね。性格は、次男の信繁や父の昌幸とは異なり、まっすぐで真面目やんな。
直感で動き、突拍子にないことをしはる昌幸や信繁とはそこのところが大きく異なるねんな。信之は真田家が豊臣家に臣従した後に、徳川家重の家臣で本多忠勝(藤岡弘)の娘を妻としてんね。
当時、豊臣家と徳川家は和睦が成立しててんね。信之の才能は徳川家でも高く評価されており、本多忠勝の娘は、一度家康の養女となってから信之の妻となってんねんな。
信之と信繁・昌幸が別々の道へ
この婚姻により、真田信之は徳川家康(内野聖陽)の縁者となってんね。家康は信之を大変重宝しており、のちに信之の父の昌幸や信繁が徳川家に反抗した時も、信之に対する態度を変えることはなかったと言われてんねな。
秀吉の死後関ヶ原の戦いが目前に迫り、信之は徳川方である東軍に残る決断を下すねんな。一方で、父親の真田昌幸(草刈正雄)と信繁は石田三成(山本耕史)方の西軍に参加してんね。
ここで、信之と信繁、兄と弟は別々の道を歩み始めることになんねな。せやけど、その後も兄弟としての情を失ったわけではあれへんねな。西軍が関ヶ原の戦いに敗れ昌幸と信繁の切腹が決まった際、信之は二人の助命嘆願を家康に行ってんねんな。
それが聞き入れられて2人は命を救われ、紀州高野山へ配流ですんでんな。まっすぐで、家族を大切にする男気あふれる男、それが真田信之なんやんな。
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