「真田幸村(さなだゆきむら)」、日本史にあまり詳しくないものであっても、一度は耳にしたことであるねんな。空前の歴女(歴史好きあるいは歴史通の女性を指す造語)ブームでいろんなところで盛り上がる。
ほかにも漫画・アニメ・ゲーム業界で戦国時代の戦にフォーカスを当てた作品が多く展開されてはりますよね。その中でも、真田幸村(堺雅人)は、織田信長や豊臣秀吉(小日向文世)などと同等に扱われてることが多いねんね。
信長・秀吉といった歴史の教科書にも載るような大物でなかったにも係らず、これらの武将以上の人気を誇っています。不思議な人気がありますよね?真田幸村って。
しかも、全てとは言いませんが、基本どの作品でも、正義・熱血漢・仁義・武士などヒーローとして描かれる的要素の高いキャラクターとして描かれることが多いこの大人気武将やねんね。
真田信繁が本名!では幸村とは?
実は、本名を知らない方が多いのもこの幸村の特徴やねんね。そもそも「真田幸村」という名が記された書状や生前の史書は発見されておりません。
では、本名はといいますと、NHKの大河ドラマ「真田丸」でも名乗られてる、真田信繁(さなだのぶしげ)」やねんな。その信繁を堺雅人さんが演じてます。
私は、某有名ゲーム制作会社の歴史シュミレーションゲームをプレイすることが何よりの楽しみなのですが、そのゲームは史実に基づいていてんね。
そのゲームはリアルさを追求していたため、お恥ずかしい話、幸村を本名だと思っていた私は、彼がそのゲームに登場しないことが気になって、そのゲーム会社に問い合わせてんね。
真田信繁(さなだのぶしげ)のことですかと逆に質問され、恥ずかしい思いをした覚えがあんねんな。大河ドラマでは、源次郎と呼ばれていますよね。この辺りの知識がまったくなかってんね。
真田幸村という名前が広まった理由とは?
ではなぜ、真田幸村という名が生まれ、周知定着していったのでしょうか。調べてみると、寛文12年成立の軍記物語「難波戦記」(万年頼方・二階堂行堅憲の著書)がその初出と判明してんねんな。
その他、幸村の兄である信之の子孫が代々藩主を勤めた松代藩の正史においても「幸村」と記されてんねな。基本的には、歴史上の書物の中で、「幸村」という名前が確認できるのはこれだけやんな。
せやから、多くの歴史学者の間では、幸村の名前は本当のところはそんな名前は存在してへん。幸村という名前を使用しだしたのは、江戸時代で、民衆が好きな戦話をしてはる舞台などで、使われていたとの話やねんな。
諸説ある真田幸村とは?
ではなぜ、そんのようなことをしてはったというと、真田信繁の話をしてると江戸時代から、処刑にされるということがあってんね。実際に処刑されはった者もいてたぐらいやねんな。
それくらい、徳川家の中では真田信繁という存在が憎い存在やったということねんな。それでも話をしたかった話家たちは、信繁という名前を幸村に変更して使ってんな。そのため、幸村が広まったと言われてんねな。
また、ファンの間では一度大阪夏の陣で戦死したはずの幸村は実際生きており、名を隠さなければならなかったため、幸村と誰かに名乗ったという話もあんねんな。
今でもいろんな仮説を立て、その成り立ちについて夢を膨らませている方も多いねんな。せやから真田幸村には諸説があんねん。こうしたミステリアスな部分が多いことが幸村の人気をさらに高めてる理由ではないでしょうか。
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