名言と言うと、気の利いた言葉とか、心に響く言葉になりますね。例えば、熊本県出身の仏教詩人である坂村真民さんが残した「念ずれば花ひらく」。
そのほかでは、明治時代の宗教家である住岡夜晃さんが、悟りを開く過程を説くために用いた「継続は力なり」というような言葉を指すのでしょう。
そうした観点からすると、真田幸村(堺雅人)には名言というのは、残念ながら、これぞと真田幸村の名言だって紹介できるものは見当たりません。
しかし、真田幸村は智略・戦略に優れた戦国時代の武将として、同時に人間味のある、そして人のマネジメントに長けていた人物として多くの人に知られ愛され続けています。
そして、類まれな気骨を持ち、筋を通し、人としての道を貫くといった姿勢に多くの人が共鳴できるからでしょう。そこに真田幸村の大きな魅力があります。
最後まで豊臣家に尽くした義理堅き男!
徳川家康(内野聖陽)対豊臣家の対立構図が明らかになった際に、全国の諸大名は、自分たちの行く末がどうなるかに恐れおののきます。皆がどちらにつくべきか迷っていたのです。
とにかく生きながらえることを優先した立ち居振る舞いに走りますが、真田幸村は最後の最後ま豊臣方に忠誠を誓い、基本姿勢を崩すことはありませんでした。
「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか」は、彼の言葉ですが、人からの恩義を忘れて、私欲を貪るような者は、人とは言えないのだという意味になります。
幸村の義理堅さが表れている言葉ですが、豊臣の恩義を忘れ、徳川方に寝返った諸大名を一刀両断にしている、怒りのこもったものと言えるでしょう。
その気概、魂が、真田幸村軍の強さの秘密とも言えるところでもあり、その強さを思い知らされ、敵かしらたら手ごわすぎると感じていたことでしょう。
徳川方は幸村を自陣に迎え入れ、豊臣との対決を有利に展開したかったのですが、思うようにできませんでした。「十万石を与える」という誘い水で、徳川方に組するようにしますが、幸村は断ります。
そうすると、それでは納得しないと見るや、徳川方はさらに破格の条件として、「信濃一国を与える」を提示します。しかし、その条件が関係ないところに真田幸村の魅力があります。
真田信伊に放った言葉が真田幸村の名言!
そのときの使者は真田幸村の叔父にあたる真田信尹(栗原英雄)でした。そのときに信尹へ放った真田幸村の言葉が次のものになっています。
「十万石では不忠者にはならぬが、一国では不忠者になるとお思いか」与える禄高で、信念を曲げるようなことはしないという痛烈なメッセージでした。
勇ましく、律儀で、義理堅さがにじみ出ている、その意味からすると、名言と言ってもいいのだろうと言えます。生き抜くことが難しい戦国時代が生むべくして生んだ英雄であり、名将と言われる所以でしょう。
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