藤堂清晴(森山直太朗)のモデル・遠藤喜美治はどんな先生だったの?

2020年前期の朝ドラエール」の中で、藤堂清晴(森山直太朗)モデルになっている遠藤喜美治(えんどうきみじ)さんを今回は取り上げていきたいと思います。

実在モデルの遠藤喜美治さんは、どんな人生を歩んできたのでしょうか。また、主人公・古山裕一(窪田正孝)のモデル・古関裕而(こせきゆうじ)さんとどのような関係だったのでしょうか?

 

そのあたりを中心に一緒に、遠藤喜美治さんについてみていきましょう。会ったことがあるわけではありませんが、遠藤喜美治さんはすごく努力して先生になっている人なので私は大好きな人物ですね。

古関裕而の学校担任

遠藤喜美治さんは、福島で教師をしており古関裕而さんの3年生から6年生までの担任をしていました。子どもの頃に教えられたことは、成長していっても残っているものです。

例えば、書道を教えている先生がいたとします。その先生から書道の指導をされたら、その子どもが書くことを好きになるかもしれません。その子どもは、今の私だったりします(笑)

 

だからこそ、こうしてブログで毎日のように記事を書いています。なので、遠藤喜美治さんがどんな先生だったのかというのは、古関裕而さんの人生に大きな影響を与えたのです。

遠藤喜美治さんは、音楽がとても好きだったのですがその話は後半にお話ししましょう。まずは、遠藤喜美治さんがどのような人生を歩んできたかを見ていきましょう。

 

遠藤喜美治さんは福島県三春町に生まれました。生家は農家で、長男ではなかったため家を継ぐという選択はありません。ではどのようなことを考えていたのかと言えば、教師を目指しています。

今は大学で教員試験を通らなければ、教師になることができませんが明治時代は検定に合格すればなることができました。小学校卒業後、小間使いとして働きながら勉強を続けて中卒検定に合格します。

 

努力した人が全て報われるということは言えませんが、成功者は大なり小なり努力しているものです。遠藤喜美治さんの人生はまさに努力を体現した人生でした。

代用教員として働けることになった遠藤喜美治さんですが、更に正式な教師になりたいと働きながら勉強を続けます。代用教員は、本来なら師範学校を出ていなければなれない教師になれる制度でした。

 

しかし、代用教員の給与は正規の教師よりかなり低かったのです。遠藤喜美治さんは、教師を目指して勉強して代用教員になったのですから、正式な教師を目指します。

文部省教員検定合格

努力することは、素晴らしいことです。全てが報われることはないですが、結果が出た瞬間に心の底から喜ぶことができます。遠藤喜美治さんは代用教員として働きながら、勉強を続けていきます。

この当時はお金がない人が教師を目指す上で、代用教員から検定を受けて正式な教員となるしか方法がありませんでした。そうして、ついに文部省教員検定に合格します。

 

努力の成果がでた瞬間、遠藤喜美治さんはどんな気分だったのでしょう?これで念願だった正式な教員として、子どもたちに教えていきます。正式な教員として遠藤喜美治さんは福島師範付属学校へと赴任しました。

この小学校で古関裕而さんと出会い、教えていくことになります。遠藤喜美治さんは古関裕而さんとの関係から、音楽に特化した先生だったのか?というと違うのです。後々ですが、国語の教員免許も取得しています。

 

何より、著作をいくつか出版しており「現代に最も適した手紙の範例」という本や、論文も書いているなど勉強熱心な先生です。

「女学生1年生の作文」という、当時の女学生がどのような心境だったのかがうかがえる本も出していました。何もない状態から正式な教師、そして著作まで出版してしまうという遠藤喜美治さんの人生は有意義なものだったでしょう。

音楽好き

古関裕而さんの才能に最初に気がついた人は誰なのか?これは遠藤喜美治さんで間違いないでしょう。遠藤喜美治さんは、音楽教育に熱心だった人です。

古関裕而さんの担任を3年生~6年生までしていたので、その間に才能を見いだしたのだと思います。

 

実際、古関裕而さんも自身の著書で「普段は目立たない生徒でしたが、作曲になると詩を他の生徒が持ってきて古関裕而さんに頼んできた」と記しています。

遠藤先生は、自ら作曲をするだけでなく、生徒自身に童謡を作詞、作曲させていたのです。生徒に作詞、作曲させるというのは、今では考えられない教育ですよね。

 

遠藤先生は作詞、作曲した曲を、生徒たち自身で歌わせていたといいます。その曲を古関裕而さんが友達の分まで全部作っていたのです。古関裕而さんの才能に気づかないわけないですよね。

頼まれれば人の分でも仕上げる。できるとうれしい。その喜びが古関裕而さんに作曲の楽しさを初めて伝えたのでした。それを聞いて、母・ヒサがピアノを買ってくれたのです。

 

実は、古関裕而さんと遠藤喜美治さんの2人の合作も残されています。現在の福島市立大森小学校の校歌は、作詞が遠藤喜美治さんで作曲が古関裕而さんです。

ただの生徒と先生というだけでなく校歌を残す師弟関係が素晴らしいですよね。ちなみに、古関裕而さんは上京して作曲家になった後にも、なにかあると遠藤喜美治さんに相談していたといいます。

 

古関裕而さんは、それだけ遠藤先生のことを慕っていたんだと思います。努力家の典型のような遠藤喜美治さんですが、NHKの朝の連続テレビ小説「エール」では森山直太朗さんが演じます。

「エール」の中では、藤堂清晴として登場します。森山直太朗さんと言えば「さくら(独唱)」が有名です。ドラマ出演はそこまで多くありませんが、教師役がイメージ的に似合っていると思います。

 

どのように演じてくれるのか楽しみですね。遠藤喜美治さんの努力して、教師になったという背景が少しでも垣間見れたらいいななんて思います。