らんまんの竹雄(志尊淳)のモデル竹蔵はどんな人なの?

今回は、NHK朝ドラらんまん竹雄志尊淳)のモデルになっている竹蔵(たけぞう)がどんな人だったのかについて解説していきます

後半には、朝ドラ「らんまん」の竹雄と実在モデルの竹蔵がどのように異なるのかを見ていきますので、最後までご覧ください。

竹蔵はどんな人?

竹蔵は、牧野富太郎(まきのとみたろう)の生家・岸屋で働く番頭になります。竹蔵は、岸屋の番頭ではありますが実質的には経営者と言っても過言ではない存在です。

牧野富太郎は、幼い頃の両親を亡くし6歳の時には祖父も亡くしています。そのため、岸屋を切り盛りしていたのは祖母・牧野浪子です。

 

竹蔵は、岸屋が富太郎の祖父の時代から働いている番頭ですから、実質的に岸屋を動かしていけるのは竹蔵であることがわかります。

もちろん、浪子さんとやりとりしながらだとは思いますが、こういった時に店を動かしていたのは先代から働いていた方たちです。そのトップが番頭の竹蔵になります。

 

ただし、竹蔵も浪子には強く言えなかったのかなというエピソードは残っています。牧野富太郎が幼く、まだ幼名の成太郎だった頃の話です。

竹蔵の懐中時計を成太郎は、じっと見つめていました。竹蔵が片付けようとしても、穴のあくほどじっと見つめるので、「少しだけ」と言って成太郎に貸しました。

 

その後、しばらくすると成太郎の姿がなかったので、嫌な予感をしているところ発見すると、時計は分解されていました。

竹蔵は、その様子を見てへたへたっと座り込んでしまいました。竹蔵は、そのことを浪子に伝えますが、浪子は成太郎を強く叱りませんでした。

 

おそらく、竹蔵は自分の子どもだったらすごく怒っていたことでしょう。しかし、跡取り息子ですのでなかなか強く言えません。

しかも、浪子も怒るのではなく上手に分解したと感心してしまいます。なので、岸屋の番頭で実質トップの竹蔵でも浪子にはなにも言えなかったことがうかがえます。

 

時計は修理してもらったか。新しいのを買ってもらったかはわかりませんが、浪子から弁償してもらっているとは思います。

竹蔵のことでわかっているのはあまり多くなく、エピソードとしてわかるのは懐中時計ぐらいです。当時の番頭なので、厳しかったことは想像できますがどうだったのでしょうか。

 

さらに、詳しいことがわかれば追加でお伝えしていきたいと思います。そして、最後に朝ドラ「らんまん」の竹雄(志尊淳)と竹蔵の違いを見て終わりにします。

竹雄と竹蔵の違い

ここでは、NHK朝ドラ「らんまん」の竹雄と竹蔵の違いを見ていきたいと思います。まず、竹雄は番頭の息子という設定です。

そのため、年代が万太郎(牧野富太郎のモデル)と年齢が近い。しかも、竹雄は万太郎の御目付役をさせられています。

 

なので、竹雄と竹蔵はかなり異なります。竹蔵は、牧野富太郎が幼い頃に番頭をしていますので年齢がまず全然違います。

また、竹蔵は牧野富太郎の御目付をしていたとの情報もありません。この時代ですから、番頭が坊ちゃんの御目付をするのはあり得ます。

 

ただ、やはり年齢が違いすぎています。NHKの朝ドラではモデルがいるケースでもこういったパターンはよくあります。モデルがいるけど変化を加えているんだと思います。

竹雄のキャストは、志尊淳さんで私の好きな俳優です。なので、どんな形で万太郎とかかわっていくことになるのか楽しみです。



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