文豪・小泉八雲(本名:ラフカディオ・ハーン、1850–1904)は、明治期の日本を題材にした怪談や随筆で広く知られ、日本文化を西洋へと紹介した存在です。
その傍らには常に、出雲生まれの妻・小泉セツ(節子とも表記、1868–1932)がいました。彼女はただの伴侶ではありません。
日本の伝統や生活の機微を語り伝える“語り部”として、八雲の文学を支える重要な役割を果たしました。セツは慶応4年(1868年)、松江藩士族の家に生まれました。
しかし誕生直後に稲垣家へ養女に出されます。実母は読書家で、養母は出雲神話を語り聞かせる女性でした。
幼少期から物語や言葉に囲まれて育ったことが、後に八雲へ多くの民話や習俗を語る資質の下地となります。
物語を聞き、それを自分の中に蓄える経験が、彼女の「語り部」としての感覚を自然と磨いていったのです。
やがて明治維新後、士族の家は没落し、セツの生活も楽ではありませんでした。下等教科を卒業後は女工として働き、厳しい時代を懸命に生き抜きます。
この経験は、困難の中でも生活を立て直す強さを彼女に与えました。その強靭さと人間味あふれる語り口が、後に異国から来た八雲の心を惹きつけ、日本文化を伝える“橋渡し”として生かされます。
こうして、出雲の伝承と庶民の暮らしを体現する娘が、後に文豪の伴侶となり、日本文学史の一端を担うことになります。
次章では、セツの結婚と八雲との出会いが、いかにして両者の運命を大きく変えていったのかを見ていきましょう。
結婚と小泉八雲との出会い
小泉セツの人生が大きく転じたのは、1891年のことである。松江に滞在していたラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)と出会い、国際結婚を果たした。
結婚以前、セツは18歳で前田為二と最初の結婚をしたが、のちに離婚している。波乱の経緯を経ての再出発だった。
二人の結びつきは、家庭生活にとどまらない「文化的な協働」でもあった。セツは八雲に、日本の生活習慣や年中行事、神話や怪談、土地に伝わる語りを折に触れて語った。
八雲はそれらを英語で再構成し、作品世界を形づくっていく。のちに『怪談』をはじめとする著作群に見られる独特の情趣や視点には、セツの語りが確かな根を与えた。
語り部としての彼女の役割は、単なる資料提供を越え、物語の肌合いそのものを支えるものであった。夫婦の間には、一雄・巌・清・寿々子の四人の子どもが生まれた。
日々の暮らしの切り盛りや子育てはセツが担い、八雲が安心して執筆に向き合える環境を整え続けた。
生活の基盤を支える役割と、作品世界の基層を支える役割が、同じひとりの人間によって同時に果たされていたのである。家庭の内部には、二人だけの独特のやりとりも育った。
セツの日本語と八雲の表現がまじりあう「ヘルン言葉」と呼ばれる話しぶりは、親密さの証しであると同時に、文化の交差点としての家庭を象徴している。
こうして築かれた関係は、「文豪とその妻」という枠組みを超え、日本文化を世界へと橋渡しする共同作業の確かな基盤となった。
語り部としての貢献
小泉セツの名を現在まで響かせているのは、家庭を支えた内助の功だけではない。彼女は、日本の風習や年中行事、神話、怪談、土地に根づく昔話を、折にふれて夫に語り伝えた。
暮らしの手ざわりの残ることばで、季節の作法や家のしきたり、地域に伝わる由来、夜語りの怪異までを、生活者の視線の高さから差し出していく。
八雲はその語りを英語で再構成し、異文化の読者にも届く物語へと編み直した。ここに、単なる「取材源」とは質の異なる、共同制作の関係が生まれている。
とりわけ、のちに広く知られる『怪談』をはじめとする著作群の底には、セツが伝えた語りの温度が通っているとされる。
筋立てや結末だけでなく、登場人物の振る舞いに宿る倫理観、自然や死者へのまなざし、沈黙の余白に漂う不安とやさしさ、そうした日本的な感覚は、文字面の説明では移し替えにくい。
セツは、家の内外で息づく言い習わしや実感の層を、逸話と会話のかたちで重ねていった。八雲はその“声”を異国語の文体に置き換え、読者にとっての驚きと気づきへと変換する。
セツの語りは、素材であると同時に、作品の体温を保つ触媒でもあった。この協働は、日常の場面で積み重なる。
行事の意味や供え物の由来、子どもに語り聞かせる話、近隣で聞いた出来事、生活の細部に散らばる断片が、何度も行き来する会話のなかで磨かれていく。
夫婦のあいだに育った「ヘルン言葉」と呼ばれる独特のやりとりは、その往復の密度を物語る。
語りが口承で受け渡されるときに起こる微細な変化や、話者の解釈の混ざり方まで含めて、セツは“語り部”としての役割を引き受けていた。
結果として、八雲の文章は日本文化の内部から発せられた息遣いをまとい、同時に外部の読者にも開かれた。異文化への橋渡しは、辞書的な解説だけでは届かない。
家庭という小さな共同体で紡がれた会話の蓄積が、言語や地域を越えて届く物語の地金になったのである。セツの存在は、「作者を陰で支えた人」という枠に収まらない。
物語が作品へと生まれ変わる、その手前の最重要工程、語りの現場を担った共同制作者として位置づけられる。
死とその後
1932年(昭和7年)2月18日、小泉セツは脳溢血により64歳でその生涯を閉じました。夫・小泉八雲の没後も子どもたちを育てながら暮らしていました。
最期は、東京都豊島区の雑司ヶ谷霊園に眠る八雲の隣に埋葬されました。夫婦が生涯を通じて築いた深い絆は、墓所に並ぶ二人の名前にも象徴されています。
セツは夫の死後、自らの言葉で思い出を残しました。その代表が随筆『思ひ出の記』です。この作品には、家庭での日常や夫婦の交流が丁寧に描かれています。
そのため、八雲の著作の背景を理解するための貴重な手がかりとなっています。特に、家庭生活の細部に触れる描写は、八雲が愛した日本文化のありのままの姿を後世に伝える役割を果たしました。
また、セツは夫との暮らしを記すことで、単に“文豪の妻”としてだけでなく、彼の創作を支え続けた伴走者としての姿を世に示しました。
その文章からは、八雲への深い愛情と、日本文化を語り継ぐ者としての自負が読み取れます。
こうしてセツの死後も、『思ひ出の記』をはじめとする証言や記録を通じて、彼女の存在は八雲研究や怪談文学の理解に欠かせないものとなっています。
文豪を支えた“語り部”としての姿は、今なお静かに息づいているのです。
現代での再評価
小泉セツは長らく「文豪・小泉八雲の妻」として語られることが多い人物でしたが、近年は彼女自身の役割に光が当たり直しています。
とりわけ、出雲の神話や怪談、暮らしの作法まで、日々の語りを通して八雲の想像世界に素材を供した再話(再語り)の語り手としての存在が、研究や紹介記事の中で改めて位置づけられています。
セツが伝えた話材は、『怪談』をはじめとする作品群の成立背景を理解するうえで欠かせません。作品の読み解きでは、語りの担い手としてのセツに焦点を当てる見方が広がっています。
八雲の創作過程を生活の場面から補う資料として、セツ自身の随筆『思ひ出の記』も再読が進んでいます。
そこでは、夫婦のやりとりや“ヘルン言葉”と呼ばれる独特の言語スタイルなど、創作の土壌となった暮らしの手触りが確かめられます。
加えて、セツの生涯そのものにも再評価の潮流があります。明治期に離婚・再婚を経験し、国際結婚という当時としては大きな転換の中で家庭を支える。
語り部として文化の橋渡しを担った姿は、「文豪の妻」を超える一人の女性像として注目されています。
2025年後期のNHK連続テレビ小説『ばけばけ』でヒロインのモデルとされていることも話題となり、一般層に向けた関心の広がりを後押ししました。
こうした文芸研究と大衆的関心の両面からの動きにより、小泉セツは、八雲の創作を支えた伴侶であると同時に、日本文化の語りを現代へつなぐ存在として捉え直されています。
家庭の場で紡がれた声が作品へと受け渡され、その声が時を超えて読者に届いていく。セツの役割は、いまなお生きたまま読み継がれています。
“語り”がつないだ創作と暮らし
小泉セツの歩みをたどると、華やかな舞台の袖で、作品の骨格を支え続けた一人の生活者の姿が浮かび上がります。松江の家に根づく物語や風習、台所や座敷で交わされたささやかな対話。
それらは小泉八雲の想像世界へと受け渡され、やがて『怪談』などの作品として読者の前に立ち上がりました。
セツは作家名義を持たず、筆を執ることも多くはありませんでしたが、日々の「語り」を媒介にして、日本の記憶を作品に宿らせた“橋”であり“土壌”でした。
その役割は、夫の創作を陰で支えたというだけにとどまりません。
明治という変転の時代に、家庭を切り盛りしながら文化の伝え手を引き受けた生き方は、今日の私たちに「表舞台に名前が残らなくても、価値ある仕事は確かにある」という事実を静かに伝えます。
人と人、暮らしと言葉、土地と物語を結ぶセツの仕事ぶりは、創作に携わる者はもちろん、日常の中で誰かに何かを手渡すすべての人の背を押すものです。
いま、セツは再び読まれ、語られています。随筆『思ひ出の記』に触れれば、家の空気や会話の温度がそのまま材料となり、作品の呼吸に変わっていく過程が見えてきます。
再評価の波が広がるのは、失われがちな生活の記憶を、声と言葉でつなぎ直す大切さが、現代の感覚とも響き合っているからでしょう。
小泉八雲の本を閉じたあと、私たちはしばしば語り手の不在を忘れます。けれどページの向こう側には、語る人、聴く人、そしてともに生きる人がいます。
セツの生涯は、その当たり前の関係の尊さを、百年の時を越えて示しています。作品を支えるのは、特別な天賦だけではなく、日々の暮らしから汲み上げられた言葉と、相手を思って差し出す声。
小泉セツという名を記すことは、物語が生まれる場の全体を、もう一度ていねいに見つめ直すことにほかなりません。
朝ドラ「ばけばけ」のモデルとして
小泉セツさんは、NHK朝ドラ「ばけばけ」のモデルになっています。朝ドラは、これまでもたくさんの人をモデルとしてきました。
2025年後期の朝ドラでは、小泉セツさんをかなりモデル通りに描いていることがうかがえます。生まれて、すぐに養女になっていること。
朝ドラ「ばけばけ」の中では、松野家で育ちますが実は雨清水家の子どもであることが描かれています。また、前田為二さんとの結婚。
こちらも、朝ドラ「ばけばけ」の中で銀二郎(寛一郎)との結婚として描かれています。やがて、銀二郎が出奔してしまうのも同様にがえがかれている。
そして、小泉八雲(ハーン)としての結婚もヘブン(トミー・バストウ)との結婚で、史実どおり。なので、朝ドラ「ばけばけ」はかなり史実どおりに描かれていることがわかりる。
細かい部分では、異なることがあっても大筋では小泉セツさんの物語をしっかり描いてくれています。朝ドラもとても楽しいですね。
小泉セツさんと「ばけばけ」でのトキ(高石あかり)が同じかどうか調べてみると、朝ドラをさらに楽しくしく見れるでしょう。
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