小泉チエは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)や、娘である小泉セツの陰に隠れ、あまり知られていないかもしれません。
しかし彼女は、八雲が心から愛した日本という国と、彼が文学を通じて描こうとした日本人の精神の源流に、確かに存在した女性なのです。
八雲が「私の魂の半分」と呼んだ妻セツの人生を最も初期に育んだのは、他ならぬ実の母であるチエでした。
この記事では、現存するわずかな史料から浮かび上がる《小泉チエ》という一人の女性の姿を、丁寧に紐解いていきます。
激動の時代を生きた松江の士族
小泉チエは、日本の歴史が大きく動いた幕末から明治にかけての時代に、松江藩の士族の家に生まれました。
彼女は、同じく士族の小泉弥右衛門湊(小泉湊)と結婚し、4男2女をもうけました。次女として生まれたのが、セツ(節子)です。
当時、明治維新によって職も禄も失い、士族たちも激しい貧困に喘いでいました。チエと家族も例外ではありません。
武士の誇りを持ちながらも、明日食べるものにも困るような厳しい生活を耐え忍んでいたことでしょう。
そして、この苦しい時代を生き抜く中で、チエは家族を守るために、ひたすら強くあろうとしたのではないでしょうか。
松江の地は、美しい城下町でありながら、時の流れに翻弄される人々の営みが息づいていました。
チエは日々の生活の中で、武士の家系に伝わる厳格な作法や、地域の風習を大切に守り続けました。
それは、たとえ経済的に困窮しても精神的な豊かさを失わないための、彼女なりの誇りの持ち方だったのかもしれません。
彼女の佇まいや人柄は、娘セツにも受け継がれ、八雲が愛した日本女性の優しさ、そして内に秘めた強さとして結実しました。
八雲は、セツの立ち居振る舞いや、穏やかな口調に、日本の古き良き精神を見出し、深く感銘を受けたそうです。その根底には、間違いなく実母チエの薫陶があったと言えるでしょう。
娘セツを養子に出した深い愛情
小泉セツは、生後わずか7日後に、子供のいなかった親戚の稲垣家の養女となります。このことは現代の感覚からすると、時に冷酷な決断と映るかもしれません。
しかし、当時の士族社会では、貧困から子供を救うため、また血筋を絶やさないため、養子縁組は珍しくない慣習でした。
チエは、娘セツに少しでも豊かな暮らしをさせたいと願い、断腸の思いでこの決断を下したのだと考えられます。
自分たちが貧しさの中で、娘を育てることができないかもしれないという、親として最も辛い現実と向き合った結果なのかもしれません。
しかし、チエは娘を手放したわけではありませんでした。後に八雲に語ったエピソードの中で、セツが養子に出された後も実母・チエは、度々養母トミの家を訪れます。
遠くからセツの成長をそっと見守っていたことを明かしています。チエは、決してセツに直接声をかけることはなかったそうです。
養父母の気持ちを慮ってのことだったかもしれません。あるいは、ただ見つめ、見守ることしかできなかったのかもしれません。
チエが抱えた感情は計り知れませんが、そこに言葉には出来ない深い愛情があったに違いありません。八雲は、この話を聞いて、「お母さんはとても立派な人だね」と深く感動したそうです。
チエの行動は、親としての深い愛情と時代の慣習に従いながらも娘を想い続けた、静かで強い意志の表れでした。
稲垣セツと名乗らず、小泉セツとしていたのも、生家と養家、両家に支えられていたからではないでしょうか。このエピソードは、八雲の心に深く刻まれました。
彼はセツが語る実母チエの物語に、西洋的な個人主義とは異なる日本的な家族の絆と、自己を犠牲にしてまで子どもの幸せを願う親の姿を見出しました。
それは八雲が日本の文化や精神性を探求する上で、重要な示唆を与えたに違いありません。
八雲は、日本の幽霊譚や怪談に、単なる恐怖ではなく、人々の深い情愛や悲しみが込められていることを感じとりました。
その背景には、チエが示したような、目には見えない、しかし確固とした家族の絆があったのです。
娘の人生を支え続けた存在
小泉セツは11歳の頃から、実家である小泉家が経営する機織り会社で働き始めます。これは、貧しい実母チエや家族を助けるためでした。
養女となった後も、セツは実の家族との絆を大切にし、家計を支えるために幼いながらも懸命に働きました。
このエピソードからも、セツが実母チエに深い愛情と尊敬を抱いていたことがわかります。そしてそれは、チエが常にセツを想い続けていたからこそ、育まれた絆に違いありません。
セツが八雲と結婚した後も、チエは娘の人生を陰から見守り続けました。八雲の作品には、直接的にチエに関する記述はありません。
しかし、八雲が日本の文化や精神性を理解する上で、妻セツが語る家族の物語や、彼女のルーツにある苦難を乗り越える強さは、間違いなく彼の心に深く響いたはずです。
セツは、八雲のために日本の昔話や伝説を語る際、その物語が実母チエや養母トミから聞いたものであることを、しばしば八雲に伝えていたと言われています。
八雲は、セツの語る物語の背後にある、母から娘へと受け継がれる口承の文化に、日本の魂の深淵を見出したのです。
語り部の系譜、そして八雲文学への影響
八雲文学の代表作である『怪談(Kwaidan)』や『骨董(Kotto)』に収められた物語は、多くが小泉セツの語りを基にしています。
その語りの根源を辿れば、養母トミがセツに教えた物語です。そしてさらに、その前世代から口伝えで受け継がれてきた民話や伝説にたどり着きます。
その系譜の中に、実の母チエの存在も深く関わっていたと考えるのは自然なことです。チエもまた、松江の地で育ち、日々の生活の中で多くの物語や風習に触れてきました。
彼女がセツに直接語り聞かせることができなくとも、セツの心には、実母チエから受け継がれた、日本人の心の奥底にある情愛や哀しみが、確かに息づいていたのではないでしょうか。
八雲はセツの語りを通じて、日本人の死生観、自然との共存、そして幽霊や妖怪に宿る人間的な感情を理解しました。
その物語の源泉には、養母トミの豊かな知識と、実母チエが示した深い愛情という、二つの異なる母の存在があったのです。
小泉チエは、八雲文学に直接的な影響を与えたわけではないかもしれません。しかし、彼女が娘セツに注いだ愛情、そして激動の時代を生き抜いたその人生そのものが、セツの人間性を形成し、ひいては八雲が愛した日本の精神性の体現者として、彼を支え続けたのです。
八雲文学の影にいた二人の母
小泉チエの人生は、物語の語り部として知られる養母トミの功績に比べ、あまり光が当てられてきませんでした。
しかし、八雲が愛し、その文学に日本の魂を吹き込んだ小泉セツという女性は、養母トミが教えた豊かな物語と、実母チエが注いだ深い愛情という、二つの異なる母の存在によって育まれたと言えるでしょう。
チエは激動の時代を生き抜く中で、娘を想い、見守り続けました。静かで、しかし揺るぎない愛情の持ち主でした。
彼女の人生は、愛と献身、そして家族の絆に満ちたものであり、八雲が描いた日本の心の奥底に、確かに息づいていたのです。
小泉チエという一人の女性の物語を知ることで、私たちは、八雲文学の奥深さと、彼が愛した日本の家族の温かさについて、より深く理解できるのではないでしょうか。
あなたにおススメのページ
傳/堤真一のモデルはどんな人?
小泉八雲(ハーン)はどんな人物?
ばけばけ ネタバレ,あらすじまとめ
ばけばけ公式ブックはコチラ










地元松江ですが
松江市は日本海に面していませんよ
ありがとうございます。修正しました。