小泉籐三郎(こいずみとうざぶろう)は、文豪・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻・セツの弟です。
彼の名は八雲の伝記やセツの回想録の中で、八雲一家の生活を取り巻く「時代の影」として、わずかに言及されるのみです。
その情報から浮かび上がるのは、明治維新後の激動の波に乗り切れず、苦悩した旧氏族の青年の姿でした。
目次
出自と家族構成 — 藤三郎が育った環境
小泉藤三郎という名は、姉・小泉セツの家系紹介などでしばしば「弟」の一人として登場します。藤三郎は1870年(明治3年)生まれで、セツより2歳年下です。
元々、小泉家の父母・小泉湊(みなと)と小泉チエの間には、十一人もの子どもが生まれたと言われていますが、生後15歳を越えて存命したのは6名だと伝えられています。
その中で、長男・氏太郎、姉・スエ、次男・武松、次女・セツ、三男・藤三郎、四男・千代之助という兄弟構成でした。
興味深い点は、家系史的な整理の中で藤三郎は「三男」であり、兄弟のうち上位の者たち(長男・次男)が早く没する。あるいは別の事情で家を離れるなどの出来事がありました。
籐三郎の人生は、姉セツと同様、明治維新による氏族の没落という厳しい現実から始まりました。彼らの家は松江藩の氏族でしたが、維新後の社会変革によって禄を失い、生活は困窮します。
また、姉・セツの紹介では、藤三郎は「定職につかず、遊び暮らしていた」と言われています。
それによれば、学問を嫌って学校をサボり、山野を駆けては小鳥を捕らえて飼うことに没頭していたという伝承が語られています。
家族を養うため、そして家を再興するために働きに出ている姉のセツとは対照的ですね。
このような家族背景・構成を下敷きにすると、藤三郎は伝統的家督・相続という枠からはやや外れた位置にいました。
そのため、自由な性向や日常の関心で日々を過ごした人物像を思い描くことができます。
性格・興味・暮らしぶり
藤三郎に関して伝えられるもっとも特徴的なエピソードは「鳥への愛情」です。父・湊が病床に伏すなかでも、藤三郎は鳥を捕らえ、飼育し、繁殖させていました。
鳥が好きなことから、家の廊下を鳥かごで埋めつくすほどになったという逸話があります。
そのため、父親が家の将来を案じて「鳥のことしか考えていない藤三郎」を鞭で打つようなこともあったと伝えられています。
また、藤三郎の生活費は姉・セツからの仕送りに頼っていました。つまり、彼は「家を継ぐ意欲」や「職を持って働く意志」はあまり持たず、自由な暮らしを好む人物だった可能性がうかがえます。
さらに、藤三郎がセツのもとへ押しかけてハーン(小泉八雲)に咎められた、といった出来事もありました。
また、ハーン一家が熊本で暮らしていた際、藤三郎が借金の無心に現れたという話もあり、経済面で困窮していた可能性も示唆されています。
こうした断片的な伝承を重ねると、藤三郎は自由な趣味を追い、現実的な生活の安定をあまり重視しなかった人物像が浮かびます。
姉・セツとの絆と葛藤
姉・セツは、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻として、ハーンの創作、交流、生活を支える重要な役割を果たしました。
そのセツの弟である藤三郎は、家族内で自然と「姉を支える側」の存在であった可能性がありますが、同時に姉との関係には葛藤もあったようです。
セツは、藤三郎の生活態度や選択に対して一定程度に距離を置いていました。セツは、藤三郎を支えつつも許せない部分を抱えていたのかもしれません。
八雲夫妻の家庭は、異文化の理解と愛情に満ち精神的には豊かなものでしたが、経済的には決して余裕があるわけではありませんでした。
八雲が教職の給与と原稿料で家族を養い、セツが倹約と知恵で家計を支えるという、二人三脚の献身の上に成り立っていました。
藤三郎がハーン宅に乗り込んできたという逸話も伝えられています。しかし、藤三郎はセツに叱られ、母親とともに大阪へ移り住んでいます。
そのため、セツと藤三郎は一定の距離を置いて暮らしたと言われているのです。藤三郎は、常に自由を求め、家庭の枠組みとせめぎ合う人物だったことがわかるでしょう。
姉・セツが家庭・文化・言葉を媒介する存在として生きた中で、藤三郎はその裏方・影のような立ち位置を取っていたかもしれません。
藤三郎の面影
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は 1890年に松江へ赴任し、セツと出会い、後に結婚しました。
ハーンとセツの間には密な文化的・創作的なやり取りがあり、セツはハーンの日本文化理解の案内人、翻訳・再話者として重要な役割を果たしました。
そのような文脈の中で、藤三郎はハーンにとって直接の交友相手ではなかったようですが、周辺にいる人物として、一定の影響・意味を持っていた可能性があります。
たとえば、藤三郎がハーンの給料を原資とした仕送りを受けていたという記録もあります。これは、藤三郎の生活がハーン・セツの関係に少なからず絡んでいたと思われます。
藤三郎はハーンの「影にある語られぬ人物」であり、直接その著作世界に足を踏み入れることはありません。
姉・セツとの間柄、経済的・家族的な関係を通じて、その創作と日常のあわいに住まう存在だったと考えることができます。
結び — 「記さなかった者」に思いを寄せて
小泉藤三郎、名は語られてはいるものの、明確な一次記録が乏しい人物です。そこが彼の存在意義を物語っているのではないでしょうか。
姉・セツやハーンとの関係性の中で彼の輪郭を探ると、「自由な志向を持ち、鳥と対話し、家や姉とたたかいながら生きた人」の姿が見えてきます。
姉・セツが異文化と翻訳の間を歩み、ハーンと日本とを繋ぐ架け橋となったとき、藤三郎はその裏手で、時に頼られ、時に振りほどかれながら、それでも自らの関心の道を歩もうとした存在なのかもしれません。
籐三郎は姉・セツのように創造性を支える「ミューズ」となることも、八雲の文学的な交流に登場する「誰か」になることもありませんでした。
彼の名は、家族の歴史の傍流にひっそりと留まりました。藤三郎には多くの余白があります。
松江の古文書館、家系図、記念館資料を頼れば、藤三郎にもう少し明るさを灯すことができるかもしれません。
家族・出生と背景
●父母:小泉湊(こいずみ みなと)・母は小泉チエ。二人の間には多くの子どもが生まれました。
●生年月:1870年(明治3年)生まれ。兄や姉、弟妹が複数。
●兄妹・姉妹の名前と順番:
-
- 氏太郎(長男/1858年生)
- スエ(長女/1860年)
- 武松(次男/1866年)
- セツ(次女/1868年)
- 藤三郎(小泉藤三郎/三男/1870年)
- 千代之助(四男/1878年)
●養子・家族の関係
小泉セツ(藤三郎の姉)は、生後7日で実家小泉家から稲垣家へ養子に出されるなど、家族内での養子縁組の事情があったようです。
朝ドラ「ばけばけ」とモデルとの違い
朝ドラ「ばけばけ」では、籐三郎は三之丞(板垣李光人)として登場します。実際の籐三郎については、不明な点も多々あります。
朝ドラ「ばけばけ」の中では、トキ(高石あかり)が三之丞にお金を毎月渡すところが描かれています。それは、でん(堤真一)が亡くなって母・タエ(北川景子)が物乞いをしていたからです。
「ばけばけ」はかなりモデルに忠実に描いているので、小泉セツがお金を渡しだしたのはそれがきっかけかもしれません。
ただ、それが原因で定職につかずに暮らしていた可能性もあります。セツからお金がもらえるので、働かなくてよいと思ってしまった。
そうであると、一定程度距離を置かれるのも当然といえば当然だと思います。「ばけばけ」の中では、父・でん(堤真一)に相手にされていなかった3男です。
実際に、籐三郎は6人も子どもがいたことから、あまり父に相手にされていなかったとしても不思議ではないでしょう。
ばけばけの中の三之丞は、わかる範囲で忠実にモデルである籐三郎を現わしてるように感じます。モデルと朝ドラを比較してみると「ばけばけ」がより楽しくなります。
なので、ばけばけを見ながらモデルの人生を見るというのも有意義な時間になると思います。私は、モデルのことについて調べるのが好きです。
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