槙野タキ(松坂慶子)のモデル牧野浪子はどんな人物だったの?

今回は、朝ドラ「らんまん」で槙野タキ(松坂慶子)のモデルになっている牧野浪子(まきのなみこ)さんがどんな人物だったのか詳しくお伝えしていきます

牧野浪子さんは、植物学の父と呼ばれる牧野富太郎さんの祖母です。ただ、牧野富太郎さんは幼い時に両親を亡くしていますので、祖母ではありますが母親代わりでもあります。

牧野浪子はどんな人物?

牧野浪子さんは、富太郎が6歳のころ夫を亡くし、岸屋を切り盛りする女将さんでした。岸屋は、酒蔵と小間物屋を営む大きな商家です。

また、富太郎は両親ももっと幼いころに亡くしていたため、浪子さんは岸屋の切り盛りと富太郎の子育てという両方の役割を担います。

 

元々、富太郎の幼名は成太郎でした。しかし、両親や祖父までもを6歳で亡くしたことから、悪い流れを断ち切るために名前を改名します。

改名した名前が、その後有名になる牧野富太郎です。牧野浪子さんは、幼い富太郎に対して非常に寛大な母親がわりでした。

 

富太郎が岸屋の番頭・竹蔵に懐中時計を借りると、分解して壊したことがありました。竹蔵はきつく叱ってくれると思っていましたが、浪子はきつく叱ることをしませんでした。

困った子だと思いながらも、上手に分解していたことに感心をしたのです。富太郎は、夢中になったら周りが見えなくなり取り組みます。それを浪子は悪いことだとは考えてなかったのです。

 

また、浪子は富太郎の体が弱かったこともあって、クサギ虫やアカガエルの肝を飲ませたり、体に良いといわれることはなんでもやってみました。

浪子の心の中には、この子は丈夫に育って欲しいという願いがあったからです。両親を亡くしているので、できる限りのことをしてあげたいと心から思っていた優しき祖母。

 

牧野浪子さんを一言で表すと、牧野富太郎さんを支えた優しい祖母になると思います。

牧野浪子と牧野富太郎

浪子さんは幼いころから、できるだけのことをしてあげたいと思って富太郎を育てました。それは、少し大きくなってからも変わりません。

富太郎から、「重訂本草綱目啓蒙(じゅうていほんぞうこうもくけいもう)」を買って欲しいと頼まれると20冊セットのものを大阪から取り寄せました。

 

これは、岸屋の財力によるものもありますが、浪子さんが富太郎を自由に育てている象徴でもあります。浪子さんは、富太郎を岸屋の跡取りにしたいと考えている。

実際に、浪子さんは家業を継いで欲しいと願っていました。それであるなら、経営の勉強をさせるようなものを買うはずです。

 

しかし、植物関連で最も立派なな本「重訂本草綱目啓蒙」を富太郎の熱意に負けて購入しています。このことからも、富太郎を自由にさせていた。

あるいは、富太郎の興味があることを伸ばしてあげようと思っていのたではないでしょうか。

 

そんなエピソードは、他にも枚挙にいとまがありません。19歳になった富太郎は、東京に内国勧業博覧会を見聞を広めるために見に行っています。

これも、浪子さんは快く了承しています。この時は、富太郎のことを心配して岸屋からお供2人もつけているのです。

 

本音は、この旅行で気がすめば岸屋の店に立ってくれるのではないか。そんなことを考えていました。しかし、それでも富太郎を快く送り出してくれます。

もちろんこの頃、岸屋の経営がうまくいっていたからというのもあるでしょう。結果的には、これが牧野富太郎さんが植物の道に進むきっかけになります。

自分よりも大切な富太郎

内国勧業博覧会に行った後の富太郎は、植物学の研究を東京でしたいようになります。しかし、浪子さんには、なかなか言い出せません。

富太郎も岸屋の跡継ぎが肉親では自分しかいないことを理解してたからです。だから、岸屋を継ぐことも考えます。

 

しかし、どうしても東京で植物学の研究をしたいという気持ちが強かったことから富太郎は、浪子さんに打ち明けました。

浪子さんは、あまりのショックに心の底から悲しみました。しかし、富太郎の目を見れば本気であることがわかります。

 

どうしようもなく心細く寂しい。あと何年生きられるかわからないけど、孫と一緒にいられない。そんな自分の気持ちよりも富太郎の希望を叶えました。

自分よりも岸屋よりも、富太郎のことが大切だったのです。また、富太郎が描く植物の絵を見て、岸屋にとどまる器・才能ではないとも感じていたのです。

浪子の死

富太郎が上京して、東京大学の植物研究室で夢中になって植物を研究して「植物学雑誌」第1号が発刊されました。明治20(1887)年のことです。

この年の春、牧野浪子さんは亡くなりました。病死でした。浪子さんは、家を守り、富太郎を守り、植物学へのおもいも理解してくれたかけがえのない祖母でした。

 

牧野富太郎さんは、祖母・浪子さんが亡くなったことについて、こう話しています。

牧野富太郎の言葉

植物の研究者として第一歩を踏み出せたのは、おばあさまのおかげだ。僕は植物学の芽をだしたばかりの若造だけど、この学問に深く根をはって必ず見事な花を咲かせてみせる。

牧野富太郎の祖母・牧野浪子は、自分よりも富太郎の幸せを考える優しい大きな人物だったのです。この祖母をもっていなければ、牧野富太郎の活躍はなかったかもしれません。

朝ドラ「らんまん」で、槙野タキ(松坂慶子)がどのように描かれるのか。キャストの松坂慶子さんも好きなので楽しみなキャスティングです。



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