井伊直虎のゆかりの地とは?
井伊家の菩提寺で、井伊直虎が出家したときに過ごしていたのが「龍潭寺」です。境内には初代・共保(ともやす)から24代・直政までの井伊家歴代宗主の墓所があります。 井伊直虎の墓所は、許嫁であった井伊直親のとなり...
井伊家の菩提寺で、井伊直虎が出家したときに過ごしていたのが「龍潭寺」です。境内には初代・共保(ともやす)から24代・直政までの井伊家歴代宗主の墓所があります。 井伊直虎の墓所は、許嫁であった井伊直親のとなり...
「菩提寺」とは、先祖代々のお墓があり、法要を営むお寺のことを言います。井伊家は、遠江国の井伊谷(現在の静岡県浜松市)で起こりました。江戸時代には彦根藩を受領したのを初め、江戸の世田谷領も受領しました。 さら...
井伊直虎(柴咲コウ)が井伊家の宗主になった当時、領地である井伊谷では二つの争いがありました。一つ目は、井伊家内部の争いです。家老の小野政次(おのまさつぐ)は、父親の小野政直(おのまさなお)のときから今川家と通じていました...
井伊直虎(柴咲コウ)は、遠江国の井伊谷城主・井伊直盛(杉本哲太)の娘として1536年頃に産まれました。正確な誕生日や幼名は分かっていません。 この当時の井伊家は国人領主として、井伊谷を治めつつ、駿河・遠江・...
ともに大坂城にて豊臣秀頼(中川大志)や母・茶々(竹内結子)を補佐していた重要な人物であるが、それぞれの立場や心情は全く異なっていた者同士になります。それは彼らの経歴を知ることによってうかがい知ることができます。 &nbs...
戦国時代にその名を馳せた勇将、真田幸村(信繁)。戦国の合戦場だけでなく、今では数多くの小説や漫画、ゲームなどでも活躍し、没して四百年余り経った今でも人々を魅了してやみません。 2016年には真田幸村を主人公...
2016年のNHK大河ドラマは「真田丸」で、人気を集めていますよね。そこで今、日本各地で真田幸村(堺雅人)にゆかりのある土地はとても熱くなっています。 その各地にある真田幸村のゆかりの地というと、まずは大阪...
名言と言うと、気の利いた言葉とか、心に響く言葉になりますね。例えば、熊本県出身の仏教詩人である坂村真民さんが残した「念ずれば花ひらく」。 そのほかでは、明治時代の宗教家である住岡夜晃さんが、悟りを開く過程を...
第二次上田合戦とは、1600年に行われた真田軍と徳川軍における戦です。この戦いにて真田昌幸(草刈正雄)・真田信繁(堺雅人)親子は徳川軍を足止めすることに成功し、4万近い兵士を関ヶ原の合戦に到着させないという活躍をしました...
第一次上田合戦は徳川家康(内野聖陽)が真田昌幸(草刈正雄)の居城の上田城を攻めた戦いです。この合戦で徳川勢は真田勢の居城の上田城に攻め込みますが、真田勢の反撃にあい、大敗を喫しました。 第一次上田合戦の背景...