今回は、NHK朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠(石橋静河)のモデルになっている宇野千代(うのちよ)さんの結婚歴を見ていきます。
それと併せて、子どもはいるのかどうか。どんな経緯で結婚、離婚してきたのか等についてもくわしく解説していきますので、気になる部分からご覧ください。
宇野千代の結婚歴
宇野千代さんの結婚遍歴は、以下の通り4人を相手に結婚離婚を繰り返しています。わかりやすいように年齢もつけています。
宇野千代さんは、自由奔放に生きてきたタイプですから、結婚離婚を4回繰り返しています。恋愛も含めるともっと多いです。
思い立ったら、即行動のタイプだったので家や別荘を持つことも特別ではなく、合計13回以上という家を購入していることでも有名です。
ここからは、具体的にどのように結婚に至ったのか。離婚に至った経緯についても具体的に見ていきたいと思います。
藤村亮一との結婚
宇野千代さんが、最初に結婚したのは13歳の時です。相手は、従兄の藤村亮一(ふじむらりょういち)さんです。この結婚は、宇野千代さんが望んで結婚したものではありません。
父・俊次さんが病気で死期が近づいていたころから、半ば強引に嫁入りさせたというのがこの結婚でした。
千代さんはある日、伯母(生母の姉)さんに呼ばれて家について行きお菓子を食べました。それから、すぐに父・俊次さんが伯母のところに遊びに行ってこいというので、二つ返事で行きます。
当時、千代さんが父に逆らうことなどできるはずもなく、伯母の家に行った。そこで、中学3年生の従兄・亮一に会わされました。
そして、しばらくすると外が暗くなります。そのため、伯母が亮一に千代さんを送るように言い、亮一が千代さんを送りました。しかし、送っている間二人は一言もしゃべりません。
当時、暗い道を男女で歩くというのは、やましいこととされていました。そのため、家に帰ると父・俊次さんに、頬を何度もたたかれました。(俊次さんが行けといったにもかかわらずです)
そして、それを理由に結婚するように言われたのです。おそらくですが、父・俊次さんと伯母の間で最初から仕組まれていた結婚でした。
しかし、亮一と千代さんの結婚生活は長くは続きません。亮一は、毎晩のようにどこかにでかけて行きます。亮一は、飲みにでかけていたのです。
ある日、千代さんは学校から帰って嫁ぎ先ではなく、家に帰りました。母・リュウも父・俊次も嫁ぎ先に戻るように言いません。
俊次が病気であったことから、自分は家にいてもいいのだと安堵したのです。この千代さんが家に戻るまでの期間は、わずか10日間でした。
はじめての恋愛
宇野千代さんは、女学校を卒業した後に小学校の先生になります。とはいえ、師範学校をでているわけではないので、代用教員としての採用です。
そこで、はじめての一人暮らしをスタートします。教員としても子どもたちが、昨日できなかったことが今日できるようになるということに感動します。
そんなある日、同じ小学校に師範学校をでてやってきた佐伯正夫がやってきました。宇野千代さんは、佐伯正夫を一目見て一目惚れします。
しかも、同じ学年の同じクラスの担当をもつことに。しかも、佐伯の家は千代の家から110mほどという近さであった。
佐伯も一人暮らしということで、千代さんは切り昆布の煮たものを持っていったり、ことあるごとに佐伯の家を訪ねた。
やがて、肉体関係をもつようになります。しかし、佐伯は口数が少なく千代のことを好きなどと口にすることはなかった。
やがて、村で千代さんが佐伯の家に行ってることを知らない人はいないような状態になり、校長から千代さんは解雇通告をされてしまう。
小学校の先生同士の恋愛はご法度だったのです。処分は、宇野千代さんだけにされたと思われましたが、佐伯正夫にも及びました。佐伯も違う村に左遷されたのです。
千代は、佐伯正夫のことをずっと好きでいましたが、もう会うことはできなくなってしまいました。宇野千代さんが失恋した時は、抗うことはなく自分から身を引くのが常でした。
藤村忠との結婚
教員を解雇されて、数年たった頃に宇野千代さんは藤村忠(ふじむらただし)と結婚します。藤村忠さんは、最初に結婚した藤村亮一の弟です。つまり、従兄にあたります。
きっかけは、またしても伯母です。伯母が京都の三校に行く、忠のところに行ってくれないかと遠まわしに言ってきたことです。母・リュウにその話をすると止めることはしません。
そんなある日、忠自身から手紙が届きます。何度か、手紙のやり取りがつづき冬休みになった。忠が柳井に帰る途中の広島で、二人は会うことになった。
リュウも千代が忠と会うことを賛成しました。千代は、学校の先生をしていた時に、男女関係が広まってしまったので普通にお見合いをすることは難しい。
そのため、リュウは千代がうまくいくのであればと思って賛成したのです。この日、千代は化粧をばっちりして広島に行きました。そして、広島の宿で忠と千代は結ばれます。
忠は京都に戻った後に、千代は伯母に縫った服を届けてほしいとお願いされた。千代の京都行きは、自動的に決まっていたのです。
この時、宇野千代さんは19歳、忠は19歳と半年。京都で2年ほど、忠と一緒にくらしました。途中から、忠の父が定年退職したことで仕送りが滞りはじめた。
千代は、質屋にものを預けたり、中国人留学生に日本語を教えたりしながら貧しいのを苦とせず生活していた。
その後、忠は東京帝大に入学したが、仕送りがなく貧しいことから役所で働きながら学校にはほぼ行ってませんでした。
千代もまた、ホテルの食堂で給仕女、口絵のモデル、燕楽軒という西洋店で給仕女をしながら暮らします。
この燕楽軒で、中央公論者の瀧田樗陰(たきた ちょいん)に連れられて、若き日の芥川龍之介、久米正雄、今東光と出会った。
その後、忠が学校を卒業しようとする2ヶ月前に、忠の伯父が北海道で開墾をしているので、来ないかと誘われます。
忠が卒業すると、忠と千代は、一緒に北海道に飛びました。そこで、千代さんは仕立て物をして頼母子講に入ります。
その結果、運よく3ヶ月で大金を手にしました。千代さんは、すぐに家を購入した。まだ、23歳ほどの女子が不動産を買うことが不自然なことでない勢いが当時の北海道にはあったのです。
ボロボロの家ではありましたが、新居に引越します。千代はそこで懸賞小説を募集している新聞を発見した。
千代は、東京に住んでいるときに短編小説を応募して、わずかばかりのお金を手にしたことがあった。同じことをやれば良いと思ったのです。
ほんの少しの懸賞金を目当てにやってきたこれまでの小説とは違い、時事新報が主催する今回応募する懸賞金はものすごい大金でした。
しかし、千代は応募した結果、優勝します。2位には、尾崎士郎。4位には、横光利一がいた中での1位でした。
この時に、千代は小説は儲かると実感したのです。それから、仕立ての仕事を辞め、来る日も来る日も小説を書いていました。
千代が考えていたのは、燕楽軒で知り合った中央公論社の瀧田樗陰に書いた小説を送ろうと思っていたのです。
そして、千代は小説を完成させて中央公論社の瀧田樗陰に送りました。しかし、何の反応もありません。千代はすぐに、なんらかの書籍に掲載されると思っていたから不思議がります。
4月10日をすぎても、なんのレスポンスもなかったことから、千代は中央公論社に行くことを決めました。
忠には、2日で帰ってくるから待っててと何度も言った上での上京だった。しかし、千代は北海道に帰ることはありませんでした。千代22歳~27歳。
尾崎士郎との結婚
千代は、東京についてすぐに中央公論社の瀧田樗陰に会いに行きました。瀧田樗陰は、すでに千代が書いた小説が中央公論の5月号に掲載されていることを伝えた。
そして、360円(今の価格でいうと200万円)の報酬が千代に支払われました。千代は、そこで北海道に帰るのではなく育ての親であるリュウにお金を見せようと考えた。
6年ぶりに柳井に戻って、リュウにお金を渡しました。2日ばかり柳井にいた後、千代は札幌の通し切符を買います。
しかし、東京で乗り換え時間があったことからきちんとお礼を言うために、中央公論社に行きました。すると、瀧田樗陰には先約がいた。
室伏高信と尾崎士郎でした。3人は、一緒に飲みに行くことになります。室伏高信が最初に席を立ち帰りました。
本来であれば、千代もこのタイミングで帰るべきでした。しかし、もう北海道の帰りの汽車の時間はすぎている。
その日、尾崎士郎と千代は飲んでいたホテルで結ばれた。そして、千代は北海道には帰りませんでした。忠は、千代がもう帰ってこないとわかった時、家族を北海道に呼び寄せました。
そして、千代は尾崎士郎と結婚した。北海道のことを千代は、母からの手紙でしることになったのです。
宇野千代さんは、後に語っていますが・・・一番好きだったのは尾崎士郎と言うほど、尾崎士郎にぞっこんでした。
尾崎は千代の1つ下。そういったことも関係あったのか、千代さんは尾崎が好きということはすべて行った。
2人は、湯ヶ島で一緒に仕事をすることもありました。尾崎だけ先に帰って、千代だけ残る。そんなことも多くあった。
千代が残った時には、一緒に川端康成や藤沢恒夫、梶井基次郎などと一緒にいることも多かった。そのため、宇野千代はおかしいという噂が流れはじめる。
尾崎士郎が帰ったのに、宇野千代だけ残るのはおかしい。理解しがたい。気が知れないなどと言われていたのです。
そんなある日、千代と尾崎士郎の家がある馬込に、梶井基次郎が寄るという手紙がやってきた。千代は、湯ヶ島で一緒にいたので尾崎士郎などに報告します。
しかし、尾崎の周囲はそのことを喜びません。やはり、湯ヶ島で梶井と千代は何かあった仲というように認定したのです。
そんな中、尾崎の小説「世紀の夜」がヒットします。尾崎は、毎晩のように銀座で友達たちと飲みにいくようになった。
やがて、尾崎は銀座のバーで、まだ年若の娘と恋仲になり両親や友人などを招待して結婚式を行った。知らなかったのは、千代だけであった。
そのことがあってしばらくして、千代は尾崎に蟹料理を食べようと誘われた。珍しく、千代も一緒に行くと、尾崎の横に年若の子が座っていました。
酒がまわって、尾崎と一緒に銀座の年若の子が歌を一緒に歌いはじめた。千代は、そこではじめてすべてのことに気づいた。千代は、こうして尾崎士郎と離婚した。千代が27歳~33歳の間でした。
東郷青児との同棲
宇野千代が33歳になった頃、「罌粟はなぜ紅い」を執筆しているところで、どうしてもガスで情死するところがうまく書けない。
その時に、宇野千代が思いついたのが東郷青児に聞いてみようでした。宇野千代は、東郷青児の家に電話しました。
東郷が電話では難しいと伝えたことで、二人は会うことになります。その日の18時に、約束していくとすぐに家に一緒に連れて行かれた。
その夜に、世田谷の東郷青児の家に行った宇野千代は、そのまま馬込の家に戻ることはなくなります。その日のうちに、二人は結ばれた。
宇野千代と東郷の暮らしは、誰から見ても幸せそうに見えた。東郷の絵は、よく売れました。関西の財閥・野村特七の御曹司婦人の肖像画などを書いた。
やがて2人は、200坪もの土地を買い家を建てることを決めました。東郷が絵さえ描けば、どんどんお金は入る。
二人は、そう思っていたけど実際はそうは行かなかった。そのため、千代は以前に絵を買ってくれた村田株式店の社長に電話をします。
そして、絵を大阪までもっていきました。千代は大阪に東郷の絵を持っていくと、村田はちょうど鉱脈がみつかって山に行くところでした。
誘われた千代は、断ることができずについていきます。そして、村田社長と寝てしまう。そのことを東郷に追及されて、千代は泣いた。
大阪から帰ってきた二人は、家の支払いも済ませて快適な生活がスタートしました。支払いが終わった後、東郷青児は絵を描かなくなります。
そして、千代がずっと聞きたかった情死事件のことを教えてくれました。東郷青児は、千代が情死事件のことを聞きたくてずっと一緒にいたのだということを実感します。
そして、ついに千代の「色ざんげ」が完成した。それは、重版が何度もかかるヒット作品となりました。
それから、東郷は情死事件の相手、西條盈子(さいじょうみつこ)と再びよりを戻します。そのため、千代とは会わなくなりました。千代は、その時39歳になっていた。
北原武夫との結婚
当時、北原武夫は都新聞の学芸部の記者でした。北原は、宇野千代の取材をした。そこで、千代は北原の美貌に惹かれます。
北原武夫は、都新聞の先輩たちにあの女に会うのは危険だと言われながらも、宇野千代と会いつづけました。
そして、文学一筋で生計を立てようと新聞社を辞めて、宇野千代の家の近くに引越してきた。2人は、よく映画を見に行きました。北原の美しい横顔を見つめることが千代の習慣でした。
北原は、新しい娯楽雑誌をやってみたいという希望があり、当時はやっていた「スマイル目薬」を文字って「スタイル」にしようと考えます。
千代は、それほどうまくいくと思っていませんでした。それでも、北原はそういう雑誌の編集が得意でした。
「スタイル」は、発売当初からわずかではあるが利益がでました。北原と千代は年齢差が10歳あいていた。千代が42歳の時、北原は32歳だった。
それでも、千代は年齢など考えたことなく北原と結婚できると思っていた。1939年(昭和14)4月1日、二人は結婚式を挙げました。4月1日が初めて出会った日だったからです。
やがて、戦火が日本にもやってきて北原武夫は陸軍報道班員として徴用された。そして、新聞や本などにも「統制」が敷かれてしまう。
「スタイル」は「女性生活」へ改め、「スタイル社」という会社は、「文体社」に変更を余儀なくされる事態となった。
この頃に、千代が北原武夫への思いをつづった「恋の手紙」が慰問袋用としてヒットします。北原は、ジャワ(インドネシア)の看護婦やスタイル社の事務員と恋をはぐくんでいました。
千代は、そんなこととは露とも知らず、天狗屋久吉の人形に興味を持って戦時中にもかかわらず徳島まで足を運んでいた。
それからほどなくして、スタイル社は解散を余儀なくされた。その後、千代は熱海に疎開しますが世間で食糧難が叫ばれる中で、食生活に困ることはありませんでした。
やがて、熱海も危険になり北原の里である栃木県の壬生に疎開をしました。日本が戦争に敗戦したことは、壬生で知ります。
東京に戻った千代と北原は、前田久吉の協力もあり再び「スタイル社」を立ち上げました。復帰第1号は、売れに売れた。
そして、銀座のど真ん中に事務所を建てるための土地を購入しました。当時、新円切り替えの時期であったことから個人で他に買えるものがいなかった。
だから、千代は銀座のいい場所を購入することができたのです。銀座に建物を建て、千代たちは馬込から銀座に引越しました。
銀座は、奇想天外な家であったが千代は北原に一言も相談していなかった。それがきっかけで、齟齬が起きることを千代は夢にも思っていません。
スタイル社は順調に成長して従業員も13名ほどに膨れ上がります。千代は、54歳になっていました。そんなある日のことです。
北原が事務所に弁護士が来ていて、その弁護士にお金を支払う必要があるという。千代はなんのことだかわかりませんでした。
それから、5年が経過したある日、スタイル社の事務員と北原が一緒になったという噂を千代は聞くようになります。
千代は、いつも自分にとって楽しくないことはすぐに忘れる。これは、人生観でもあるが、一方で臆病なのかもしれない。
北原は、スタイル社の事務員との間に子供ができたことで、養育費を要求されていたのです。それから先、千代はその女のことを忘れることで精一杯でした。
千代は、女の存在を忘れるために何かに集中しようとしました。そのため、木挽町に家を建てました。さらに、熱海に別荘も購入した。
熱海の別荘も、どうしても必要なものではなかった。しかし、北原が東京で仕事をしてなかったことから、北原の仕事のために買ったところがありました。
しかし、北原はというと・・・熱海の別荘に仕事に行ってくると言いながら他で女の人と会っていたことに気づくのは、まだ先のことです。
その頃、他の女のことを忘れるために千代は仕事でも「スタイル」だけでなく「スタイル読物版」を発刊します。
しかし、初版の7割が売れずに会社はダメージを負った。そんな中、千代は宮田文子と一緒に海外旅行に出かけた。
その旅先で、千代は北原から「女のことはすべて片付いた。もう君を煩わすことは一つもない。」と手紙をもらった。
千代は、それでもすぐに帰るということをしませんでした。ゆっくりと旅行を楽しんだ後に、帰ったのです。
千代が旅行から帰ってしばらくしたある日。「スタイル社」に突然、男の人が8人ぐらい押し寄せてきました。国税庁の査察がきたのです。
査察は1ヶ月以上に及びました。社長の北原は逮捕されるのではないかという噂まで流れていました。結局、追徴金まで入れると1億近いお金が消えていった。
これまで、湯水のように使っていたお金は、あっという間に消えていってしまった。そして、いろんな支払いが遅れていってしまう。
木挽町の家を売り、手形をだしてなんとかしのいでいたが、入金のあてもないまま手形をふりだしたので、ついに不渡りになり倒産することになった。
手形が暴力団の手にわたって怖い思いもした。北原と千代は、個人保証をしていたことから何千万という借金を返済していきました。
「スタイル社」が倒産した後には、二人は別々で仕事をして借金を返す形になっていた。昼夜別々の仕事をしていたことで、二人は相手が何をしているかさえわからない夫婦になったのです。
それでも、共通の思いはあった。1日も早く借金を返して清々したいという気持ちでした。やがて、借金も残り3つほどの銀行の返済のみとなっていく。
月末に、2人のお金を遣いの者が銀行に返済していく。千代と北原が会うのは、その月末の時だけになっていました。
その後、千代はひょんなことから腰の骨を骨折して入院した。退院した後しばらくして、北原から別れを告げられた。
そして、すぐに離婚届に署名捺印をした。千代は、こういう時に必ず別れるのは嫌と言わなかった。それは、千代ならではの強がりでもあり、人生哲学でもあった。
宇野千代は、こうして最も長い25年という結婚生活を歩んだ北原武夫との結婚生活を終えた。結婚生活期間42歳~67歳。
宇野千代の子供
宇野千代さんは、これまでに見てきた通り恋愛歴も結婚歴もたくさんあった。そのため、たくさんの人と経験を重ねてきています。
当然、子供がいるだろうと考えても不思議ではありません。しかし、宇野千代さんには実子がいません。
秘書として長年寄り添ってくれた藤江淳子(ふじえあつこ)さんという存在こそいましたが、子供はいないというのが結論になります。
これだけ、たくさんの恋愛歴と結婚歴をもちながら、子供には恵まれなかった宇野千代さん。もし、子供ができていれば人生は大きく変わっていたでしょう。
子供がいれば、結婚離婚の数がもしかしたら減っていたのかも。そんなことを感じました。
NHK朝ドラ「ブラッサム」
NHK朝ドラ「ブラッサム」は、宇野千代さんをモデルにした物語になります。宇野千代さんの恋愛関係をどこまで朝ドラでやれるのか。
相当大きく史実とは異なる形にしないと、なかなか難しいのではないかなって思います。特に、北海道で結婚していた藤村忠さんに戻る約束をしているのに、東京から帰ってこないあたり。
東京で尾崎士郎さんのに一目惚れだったのだとは思いますが、そのまま描くと批判殺到になるような気がします。
他にも絵を売るために大阪にやってきたのに、村田さんと寝てしまったり。なかなか、ない人生を歩んでいるように思います。
宇野千代さんが「徹子の部屋」に出演した時に、黒柳徹子さんが宇野千代さんの男性関係を「まるで昼寝でもしたように話す」とおっしゃっていましたが・・・
すごく的を得ていると思います。宇野千代さんは、気さくにあっけらかんと話すので、本当に昼寝のような感じなんです。
ただ、学ぶべき点も多くある。失恋の向き合い方や若くいられる秘訣など、魅力はたっぷりな人物なのは間違いありません。
NHK朝の連続テレビ小説「ブラッサム」がどのように脚色してくるのか。どこまで、踏み込んで描いてくるのか楽しみですね。




●13歳 藤村亮一
●22歳 藤村忠
●27歳 尾崎士郎
●42歳 北原武夫