吉本せい(村山トミ/小雪のモデル)はどんな人だったの?

吉本せいさんは、吉本興業の創業者でお笑い帝国を築いた人物として知られています。またNHK朝ドラ「ブギウギ」の村山トミ(小雪)のモデルにもなっています。

過去には、NHKの朝ドラ『わろてんか』でも取り上げられた人なので、ご存じの方もいるでしょう。今回は、吉本せいさんの人物像をみていきます。

吉本せいの生まれから結婚まで

吉本せいさんは、1989年(明治22年)12月5日に兵庫県明石市で生まれました。12人兄弟姉妹の3女としての誕生でした。12人も兄弟姉妹がいたため、暮らしぶりは楽ではありませんでした。

吉本せいさんは、尋常小学校四年まで成績優秀でしたが、家庭の事情により奉公に出されます。奉公先は倹約家、ある意味ケチで、せいさんは非常に苦労します。

 

1910年(明治43年)、20歳の時に吉本吉兵衛と結婚します。「箸吉(はしよし)」という老舗の息子です。

しかし、吉兵衛は日露戦争後のバブルの崩壊により経営が傾いた「箸吉」を立て直そうと努力するどころか、芸能を好み遊んでばかりの生活。

 

自宅まで押し寄せた債権者への対応は、吉本せいさんに任せっきりでしたが、断り方に難癖をつけ、日本刀で脅したといいます。どうしようもない男ですね。

姑、ユキのいびりもひどいものでした。姑は吉兵衛の本当の母親ではなく、父親の後妻。洗濯から食事の作り方、掃除、商売に至るまでねちねちいじめたそうです。

 

一方、芸能好きな吉兵衛は自分でも芸能興行を行ってみようと考えますが、だまされて失敗。その後、吉本せいさんは苦労しながら家計を支えようとしました。

吉本せいさんの話では、10人以上の子供がいたとのことですが、夭折した子や流産もあり、すべての子が大人にまでは成長しませんでした。

吉本興業の創業者として

ここで話を吉本興業の創業者としての吉本せいさんの経歴に移してみましょう。夫の吉兵衛は1912年(明治45年)に「第二文芸館」を買収します。

といっても、吉本家に買収金額などあるはずもなく、吉本せいさんがあちこち金策に回りました。

 

この「第二文芸館」での寄席が吉本興業のスタートともいえるものです。買収の翌年1913年(大正2年)には、「吉本興業部」が発足しています。

発足したとはいうものの、「第二文芸館」がある天満には他にも寄席がたくさんあり、「第二文芸館」は最低ランクであったといいます。ここからがせいの工夫のしどころ。

 

客をぎゅうぎゅうに詰め込み、雨降りの日は入場料を2倍にしました。現代では苦情が殺到し、経営を続けられないような手段ですが、当時はこういうこともあったのです。

しかし、これだけでは吉本せいさんの活躍ぶりを語るには不十分ですね。せいさんの本領はこんなところに発揮されています。

 

せいさんは興行主であったにもかかわらず、客席の整理や芸人の身支度を手伝うなど、細かい気配りを見せました。細々としたことに気を使ってくれるせいに芸人も感心します。

そのため、芸人も恩返しに素晴らしい芸を披露したそうです。この辺の事情は、山崎豊子氏が書いた小説『花のれん』でも詳しく紹介されています。

 

吉本興業部では、客を呼べる芸人には給料をはずみました。芸人の間でも「吉本の奥様は気前がいい人」との噂が広がります。こうして集めた芸人たちを看板芸人として売り込んだのです。

実際に、看板芸人がどれくらいの給料をもらっていたのかというと月給500円というケースもありました。

 

当時の中堅サラリーマンの月給が40円程度でしたから、いかに高給取りであったかがわかるでしょう。1923年(大正12年)の関東大震災時にも、吉本せいさんは大きな役割を演じます。

関東に義援金を送るだけでなく、寝具や食料などの実用品も送ったのです。落胆している関東の芸人を助けるためにできることは全てしました。

 

その支援に感謝した関東の芸人が大阪にやってきて、寄席を始めます。関東の寄席と関西の寄席では違う部分も多いですが、復興支援という名目で客の入りも上々だったようです。

1924年(大正13年)、夫の吉兵衛が亡くなります。34歳で未亡人となった、吉本せいさんは実弟の正之助と弘高を呼び寄せ、吉本興業の活動を手伝わせ、事業を拡大します。

 

京阪神の寄席を30あまり持つほどに成長しました。時代は変わり昭和に。1932年(昭和7年)には、吉本せいさんは吉本興業合名会社を設立して、社長に就任します。

そこで東京や横浜にも進出し、寄席の数も47軒にまで増えました。また、漫才にも注目し、横山エンタツと花菱アチャコの二人を抜擢。

 

エンタツ・アチャコは結成から半年で、吉本の売れっ子芸人に仲間入りしました。

1948年(昭和23年)、吉本せいさんは改組した吉本興業株式会社の会長に就任。しかし、1950年(昭和25年)3月14日、この世を去りました。お葬式は派手で、立派であったといいます。

まとめ

今回は、吉本興業の創業者、吉本せいさんの人生を振り返ってみました。女興行師として大活躍した吉本せいさんは、裏では大変苦労もしています。

しかし、その苦労の甲斐もあって、吉本興業は大成長を遂げました。今の吉本興業を語る上で、吉本せいの活躍は無視できないでしょう。



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