稲垣万右衛門(勘右衛門/小日向文世のモデル)はどんな人?

ラストサムライと呼ばれた稲垣万右衛門(朝ドラ「ばけばけ」の松野勘右衛門/小日向文世のモデル)明治の世になっても髷を結い、剣の稽古を欠かさなかった一人の武士がいた。

稲垣万右衛門とは何者か

稲垣万右衛門(いながきまんえもん、1818年〜1898年)は、幕末から明治にかけて激動の時代を生きた旧松江藩士である。

文政元年に松江で生まれた彼は、江戸時代後期の武家社会の中で育ち、武士としての誇りと規範を身に染み込ませた人物だった。

 

万右衛門が生きた時代は、日本史上まれに見る変革期であった。彼が35歳の時に黒船が来航し、日本は開国を迫られる。

その後、尊王攘夷運動、幕府の崩壊、明治維新と、わずか数十年のうちに社会システムそのものが根底から覆される激動を経験することになる。

 

万右衛門は、まさにこの歴史的転換点を生きた証人であり、同時に旧時代の価値観を最後まで貫いた「ラストサムライ」の一人でもあった。

松江藩は出雲国(現在の島根県)を治める藩で、堀尾氏、京極氏を経て、松平氏が藩主を務めた。万右衛門は、この松江藩において藩士として仕え、武士としての矜持を持ち続けた人物である。

 

彼の人生は、時代の波に翻弄されながらも、自らの信念を曲げることなく生き抜いた一人の武士の物語として、後世に語り継がれることになった。

地域や時代における稲垣万右衛門の役割

万右衛門は旧松江藩において、複数の重要な役職を歴任した。特に注目すべきは、幕末の動乱期における彼の活躍である。

黒船来航以降、日本国内が大きく揺らいでいた時期に、万右衛門は隠岐警備、大坂の守衛、さらには二条城や京都御所の警護といった重要任務に携わった。

 

これらの役職は、当時の政治的緊張が高まる中で、藩の信頼を得ていた証でもある。また、万右衛門は松江藩主の「御子様方御番方」という役職も務めていた。

これは藩主の子女を守護する重要な立場であり、彼が大の子供好きであったことも相まって、この任務に強い誇りを持っていたと伝えられている。

 

この子供好きという性格は、後に養曾孫となる小泉セツとの関係においても如実に表れることになる。

幕末期の松江藩は、他の多くの藩と同様に、開国か攘夷か、佐幕か倒幕かという選択を迫られていた。

 

万右衛門自身は、武士としての伝統的価値観を重んじる立場から、外国人に対する警戒心を強く持っていた。

彼は生粋の「異人嫌い」として知られており、これは当時の多くの保守的な武士たちに共通する感情でもあった。

 

しかし、時代は確実に変化していった。1868年の明治維新により、武士という身分制度そのものが崩壊する。

廃藩置県によって松江藩も消滅し、万右衛門をはじめとする旧藩士たちは、俸禄米や知行を失うことになった。

 

50歳を迎えたばかりの万右衛門にとって、これは単なる経済的困窮以上の意味を持っていた。それは、自らのアイデンティティそのものが否定される経験だったのである。

稲垣万右衛門を語る上で外せないエピソード3選

エピソード1:明治の世に適応できなかった武士の姿

明治維新後、万右衛門は時代の変化に全く適応できなかった。「文明開化」と呼ばれる新しい時代の波が押し寄せる中、彼は頑なに髷を結い続け、剣の稽古を欠かさなかった。

「いざという時に異国からこの国を守るのは自分だ」という信念のもと、武士としての生活様式を貫いた。

 

しかし、現実は厳しかった。もはや藩からの俸禄はなく、武士という身分に伴う特権も消失していた。それでも万右衛門は外で働くことを拒み、家計は孫のセツと嫁のトミに任せきりにした。

この頑固さは、単なる怠惰ではなく、武士としての誇りを守ろうとする最後の抵抗だったのかもしれない。結果として、稲垣家は極度の貧困に陥ることになる。

エピソード2:「お嬢」と呼んで可愛がった養曾孫セツとの関係

万右衛門の人生において、最も心温まるエピソードは、養曾孫である小泉セツとの関係である。セツは1868年、小泉家に生まれたが、生後7日で子宝に恵まれなかった稲垣家に養子として迎えられた。

万右衛門は、セツのことを「お嬢(おじょ)」と呼び、大変可愛がった。大の子供好きで知られた万右衛門にとって、セツは特別な存在だった。

 

厳格な武士でありながら、孫娘の前では優しい祖父の顔を見せた。「剣ではいかなる相手にも決して負けない」という自負を持つ万右衛門も、セツには「めっぽう弱かった」と伝えられている。

この対比は、彼の人間性の豊かさを物語っている。

エピソード3:小泉八雲に「八雲」という名前を授けた知識人

万右衛門の最も重要な功績の一つは、後に世界的な作家となるラフカディオ・ハーンに「小泉八雲」という日本名を授けたことである。

1896年、ハーンが日本国籍を取得する際、万右衛門は『古事記』に記された日本最古の和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」から「八雲」という名を選んだ。

 

「八雲立つ」は出雲国にかかる枕詞であり、松江での生活を愛したハーンにふさわしい名であった。万右衛門は、古典に精通した教養人でもあり、この命名は彼の文化的素養の高さを示している。

興味深いのは、万右衛門自身は「異人嫌い」でありながら、孫娘セツとハーンの結婚を受け入れ、最終的には熊本までハーン夫妻について行ったことである。

 

これは、家族への愛情が、彼の頑固な価値観を超えたことを示している。

評価と影響——後世に残した足跡

稲垣万右衛門の人生は、一見すると時代に取り残された頑固な老武士の物語のように見える。しかし、その生き様は、時代の変化の中で自らの信念を貫くことの意味を問いかけている。

彼が小泉八雲に授けた「八雲」という名前は、日本文学史において特別な意味を持つことになった。小泉八雲は『怪談』をはじめとする多くの作品を通じて、日本文化を世界に紹介した。

 

その作家活動の出発点には、妻セツとの出会いがあり、そしてセツを育てた稲垣家の存在があった。

万右衛門の古典的教養と日本文化への深い理解が、間接的にではあるが、八雲の文学活動に影響を与えたと考えることができる。

 

また、万右衛門の生き方は、明治維新という歴史的変革期を生きた多くの武士たちの姿を象徴している。

急激な近代化の中で、伝統的価値観を持つ人々がどのような葛藤を経験したのか、万右衛門の人生はその一例を示している。

 

彼の頑固さは、単なる時代錯誤ではなく、アイデンティティを守ろうとする人間の本質的な姿だったのかもしれない。

万右衛門は1898年、80歳で亡くなった。江戸時代に生まれ、明治の世を生き抜いた彼の人生は、まさに激動の80年間であった。

 

彼が最期まで髷を結い、武士であり続けようとした姿は、後世の人々に強い印象を残すことになった。

現代における稲垣万右衛門像の再評価

現代において、稲垣万右衛門は主に小泉八雲研究の文脈で語られることが多い。八雲の妻となった小泉セツの養祖父として、彼の存在は八雲文学を理解する上で重要な背景の一つとなっている。

2025年には、NHK連続テレビ小説「ばけばけ」において、万右衛門をモデルとした「松野勘右衛門」という人物が登場し、俳優の小日向文世が演じることで、再び注目を集めている。

 

ドラマでは「幕末をたくましく生き抜いた生粋の武士」として描かれ、「いざという時に異国からこの国を守るのは自分だと信じ、髷を結い、剣の稽古を続けるラストサムライ」という役柄が与えられている。

このような文化的な再評価は、万右衛門という人物が、単なる歴史上の一人物ではなく、時代を超えて現代人の心に響く普遍的なテーマを体現していることを示している。

 

変化の激しい現代社会において、自らの信念を貫くことの意味、伝統と近代化の葛藤、家族への愛情といったテーマは、今なお多くの人々に共感を呼ぶのである。

また、地域史研究の観点からも、万右衛門のような人物の記録は貴重である。松江藩士としての彼の経歴や生活ぶりは、幕末から明治にかけての地方武士の実態を知る上で重要な史料となっている。

 

特に、明治維新後の旧武士階級の困窮や、新しい時代への適応の困難さは、歴史の大きな流れの中で見落とされがちな側面を照らし出している。

稲垣万右衛門という一人の武士の人生を通じて、私たちは激動の時代を生きた人々の喜びと苦悩、誇りと挫折、そして何よりも人間としての尊厳を守ろうとする姿を見ることができる。

 

彼の物語は、歴史が単なる出来事の羅列ではなく、一人一人の人間の生きた証の集積であることを、改めて教えてくれるのである。

おわりに

稲垣万右衛門は、歴史の教科書に名前が載るような著名人ではない。しかし、彼の生き方は、時代の大きな転換点を生きた無数の人々を代表している。

武士としての誇りを最後まで捨てず、時代に適応できなかったその姿は、一面では頑固で融通の利かない老人に見えるかもしれない。

 

しかし同時に、自らのアイデンティティを守り抜こうとした一人の人間の尊厳ある生き方でもあった。

そして何より、彼が残した最大の遺産は、養曾孫セツとその夫となった小泉八雲への影響である。稲垣万右衛門が授けた「八雲」という名前は、日本文学史に永遠に刻まれることになった。

 

教養深い古武士が、異国の文筆家に日本の古典から名前を贈ったこと——この一つの行為の中に、文化の継承と国際的な交流の萌芽を見ることができる。

稲垣万右衛門の人生は、変化の時代を生きることの意味を、私たち現代人にも問いかけ続けているのである。



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