らんまん第32話あらすじ「植物学教室」感想

この記事では、NHK朝ドラ「らんまん」の第32話あらすじ,感想をまとめています。あらすじは吹き出し(会話形式)でお伝えしています。

らんまん第31話のあらすじで、寿恵子(浜辺美波)の叔母・みえ(宮澤エマ)が寿恵子に鹿鳴館で踊りを習わないかとさそいます。

 

らんまん第32話のあらすじは、万太郎(神木隆之介)が東京大学に向かったところからはじまります。らんまん第32話のタイトルは「植物学教室」です。

らんまん第32話あらすじ

万太郎(神木隆之介)は東京大学に向かいました。この日のために、服も新調しました。

及川福治
なんだいその恰好
江口りん
万さん気張っておいで。
万太郎
行ってまいります。

スーツに蝶ネクタイをして、十徳長屋の人たちに見送られました。

万太郎
竹雄、洋服は動きやすいぞ。置いてくぞ。

そういって、万太郎と竹雄(志尊淳)は大学に向かいました。

竹雄
わしはここで。紹介状はもってますか?

大学に着くと、竹雄は就職先を探しに向かったので別れました。

万太郎
おお。もっちょる。ほならの。

万太郎は、興奮しながら植物学教室がある青長屋に入りました。そこでは、植物を乾燥するための専用場所があることに驚きました。

感動しながら廊下を進むと、机がずらりと並んでいました。さらに進むと、研究室があり中に入りました。

万太郎
失礼します。

しかし、中には誰もいません。万太郎が辺りを見回していると、講師・大窪昭三郎(今野浩喜)と4年生数名がやってきました。

万太郎
土佐から参りました、槙野と申します。田邊先生にお会いしたくて参りました。

大窪は、田邊教授が10時までは自分の研究をしているため、改めてくるように万太郎に言いますが、万太郎は待つことにしました。

そして、学生たちの様子をみていたら10時になりました。大窪は、まず助教授の徳永政一(田中哲司)に万太郎のことを話します。

徳永助教授
野田先生?では、私が聞こう。
万太郎
田邊教授でいらっしゃいますか?できましたら、田邊教授にお願いしたいのですけど。

万太郎の言葉に、徳永助教授はむっとします。徳永助教授(田中哲司)に田邊教授(要潤)と話をしたいと伝えた万太郎(神木隆之介)にバイオリンの音が聞こえてきました。

それは、西洋文化に造詣の深い田邊教授が弾いていたものでした。そして、田邊教授が万太郎のところにやってきました。

田邉教授
グッドモーニング、ジェントルマン。君は誰だね?

らんまん第32話のネタバレ,あらすじはここまで。らんまん第33話のネタバレ,あらすじにつづく



らんまん第32話の感想

らんまん第32話のあらすじでは、万太郎が東京大学に足を運びました。紹介状を持って田邊教授に会いに行くというストーリーでした。

見ている感じだと、大学のメンバーはかなり濃い人物が満載です。新しい登場人物も多くて、今後が楽しみな予感です。

 

しかし、助教授の徳永に対して田邊教授と話したいっていうのはさすがに失礼ですよね。徳永は明らかに怒っている様子でした。

とはいえ、万太郎が紹介状を書いてもらっているのは田邊教授です。なので、万太郎の気持ちもわからないことはないです。

 

通常、徳永から田邊に紹介状があがっていくはずです。しかし、徳永を怒らせてしまっていたので、それは難しくなりそう。

であれば、直球で田邊教授に会うってのが一番の近道です。丈之助(山脇辰哉)が言うように門前払いされなくてよかったです。

 

一応、田邊教授と話はできそう。そんな状況を万太郎は、偶然かもしれませんがつくりだしました。あとは、田邊教授次第といったところでしょうか。

欧米に影響を受けている田邊教授であれば、日本の上下関係は問題にならない可能性もあります。田邊教授の反応に注目です。らんまん第32話の感想はここまで。らんまん第33話の感想につづく



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1877(明治10)年4月12日、東京大学創設。
1886(明治19)年3月2日、帝国大学に改称。
1897(明治13)年6月22日、東京帝国大学に改称。
1947(昭和22)年9月30日、東京大学に改称

本ドラマの主人公・槙野万太郎が、出入りすることが許されたのは、
この創設間もない(開学からまだ5年)東京大学。

東京専門学校(私の母校・早稲田大学の前身)も、このころに設立。

私事ながら、母方の曽祖父・大塚専一は、大垣藩士の次男坊。
没落士族の家督を相続できる立場になく、
学問を身を立てるために上京。
そして、1887 (明治20)年、帝国大学理科大学地質学科(現・東京大学理学部)を卒業。
長岡半太郎博士とは、同時期に学んだことになる。

万太郎のモデルである、牧野富太郎博士とも、
研究室は異なるものの、
校内ですれ違うことはあったのか?
面識はあったのか?

しかし、我が家系は、以来ずっと、
東京大学とは、ご縁が無くかった。

せいぜい私が、
早稲田の大学院にいた時に、
「歴史学研究会」(略称・歴研)の勉強会に、
出入りさせてもらっていた時に、
東京大学史料編纂所の勉強会にも参加していて、
昼休み時に、本郷キャンパス内で寛いでいたら、
東大生と間違われて、写真を撮られた程度の関係。

しかし、私の従姉の次男が、
ついに東京大学に入学!
そして今は、研究者に。

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