このページでは、朝ドラ「ブギウギ」の村山愛助(水上恒司)のモデル吉本頴右(よしもとえいすけ)さんについて紹介します。
また、後半には朝ドラ「ブギウギ」の村山愛助と吉本頴右さんの違いなども詳しく解説していきますので、最後まで御覧ください。
吉本頴右とは?
吉本頴右(よしもと・えいすけ、1898年 – 1923年)は、日本の芸能プロモーターであり、吉本興業の創業者・吉本泰三(吉本吉兵衛)、吉本せいの次男です。
吉本頴右さんは、父の事業を継ぐことなく24歳で早世したが、その生涯は多くの人々に影響を与えました。
吉本頴右さんは、1898年に大阪府大阪市西区(現在の西区)にある芝居小屋「浪花座」で生まれました。
父は、浪花座を経営する傍ら、寄席や演芸場などの興行を手掛ける吉本吉兵衛。母は、吉本せいです。頴右には、兄の吉本正(1896年 – 1977年)と妹の吉本ふみ(1900年 – 1985年)がます。
吉本頴右さんは、幼少期から父の仕事に興味を持ち、浪花座や寄席などで多くの芸人や芸能人と交流します。また、学校では優秀な成績を収め、文武両道の才能を発揮しています。
1917年に早稲田大学政治経済学部に入学し、東京での生活を楽しみながらも、芸能界に対する関心を失いませんでした。
母の知り合いである漫画家・北澤楽天や小説家・菊池寛と親交を深め、彼らから多くの影響を受けます。
また、当時流行していた新劇や映画にも興味を示し、自ら脚本や評論を書いたり、俳優や監督と交流したりした。
笠置シズ子との出会い
1920年には、当時人気の高かった女性歌手・笠置シヅ子さん(1897年 – 1975年)と出会い、恋に落ちます。吉本頴右さんは、松竹楽劇部にいたころから笠置シズ子さんのファンでした。
2人の出会いは、笠置シズ子さんが名古屋に慰問に行っていたときです。笠置シズ子さんのファンだった吉本頴右さんが見に行っていたことが最初です。
日付まで明確にわかっていて、1943年6月28日のことです。吉本頴右さんは、当時早稲田の学生で20歳でした。
二人は、すぐに結婚を決意しますが、母・吉本せいはこの結婚に猛反対します。理由は、笠置シズ子さんが9歳上であったことや吉本せいさんからすると、笠置シズ子さんは商品だからです。
また、吉本せいさんには、男2人女5人の子どもがいますが、すべて早くして亡くなっています。吉本せいさんは、吉本頴右さんが元気であれば吉本興業の重役をさせようと思っていました。
吉本せいさんの反対があったとはいえ、吉本頴右さんと笠置シヅ子さん同棲します。これは、吉本興業の東京支社長・林弘高が用意してくれた家でした。
1921年には娘・亀井エイ子(1921年 – 2012年)が生まれています。ただ、吉本頴右さんはこの子供を見ることはできませんでした。
吉本頴右さんは、子供が生まれる前から結核を患っており、子供を見る前に亡くなっていたのです。
吉本頴右の死とその影響
吉本頴右さんの生前は、母の事業を継ぐことを望み、自らも興行やプロデュースなどに携わりました。しかし、彼の夢は叶いませんでした。
吉本頴右さんが亡くなったのは、まだ24歳の時です。頴右さんの死は、芸能界にも大きな衝撃を与えました。特に母・吉本せいは、息子の死を受け入れられず、悲嘆に暮れます。
彼女は何度も、笠置シズ子さんに亀井エイ子を引き取ることを打診をします。それは、林弘高も同じでした。
しかし、笠置シヅ子さんは未婚の母としてエイ子さんを育てる覚悟をしていたので、その申し出を断ります。
一方、吉本せいは後継者問題に直面します。当初、次男の吉本頴右を後継者として考えていたが、彼が亡くなったことで計画が狂います。結果として、吉本興業は林家にわたることになります。
ブギウギのモデルとの違い
朝ドラ「ブギウギ」の中で、吉本頴右さんのモデルは村山愛助(水上恒司)です。実際の吉本頴右さんと村山愛助の違いをここでは見ていきます。
吉本頴右さんは、戦時中の慰問で名古屋に来ていた笠置シズ子さんと出会い、恋に落ちています。その点、「ブギウギ」の村山愛助も同様に描かれています。
また、子どもができて生まれる前に村山愛助が亡くなるというのも同様です。そこに、吉本せいさんが絡んできているのも同様です。
ドラマでは、村山興業の社長・村山トミ(トミ)として描かれています。また、林弘高さんが吉本頴右さんと笠置シズ子さんの家を用意するところもドラマで描かれています。
ちなみに、林弘高さんをモデルにしているのは坂口(黒田有)です。なので、かなり正確にモデル通りに「ブギウギ」が描いていることがわかります。
NHKは、今回の作品を笠置シズ子さんをモデルにしているということを公表しているので、しっかりとあった事実に近い形をとっているのかなと思います、
ただ1点だけ違うところは、吉本頴右さんは結婚したら笠置シズ子さんに芸能界をやめてほしいとお願いしていたことです。
ここだけは、朝ドラ「ブギウギ」では逆になっています。「ブギウギ」では、結婚して子供を産んでも歌い続けてほしいとなっています。
ここは、現在の時代が反映しているのではないでしょうか。吉本頴右さんは、吉本興業の社長になる人でした。
もし、吉本頴右さんが生きて笠置シズ子さんと結婚していたら、今の吉本興業とは違う形になっていたかもしれません。
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