らんまんの幸吉(笠松将)の実在モデル・和之助はどんな人なの?

今回はNHK朝ドラらんまん」の幸吉笠松将)の実在モデル和之助(かずのすけ)はどんな人物だったのか

牧野富太郎さんとのエピソードを交えてお伝えしていきます。また、後半には朝ドラ「らんまん」の幸吉と実在モデルの和之助がどう違ったのかも見ていきます。

和之助はどんな人?

和之助(かずのすけ)は、牧野富太郎の実家で営まれていた岸屋の番頭になります。以前に同じ岸屋の番頭・竹蔵(たけぞう)を紹介していますが、和之助の方が後から番頭になっています。

竹蔵の後に、すぐに和之助になったかどうかは不明ですが、竹蔵の何代かあとに番頭になっていたのが和之助です。

 

竹蔵は、牧野浪子が切り盛りしていたころの岸屋の番頭ですが、和之助は牧野浪子が亡くなった後の番頭です。

明確にはわかっていないのですが、もしかしたら浪子が生きている頃から番頭だったのかもしれません。

 

牧野富太郎が初めて東京に行く明治14年(1881)、竹蔵の後の番頭の経営がうまくいき順調でした。その番頭が和之助の可能性はあります。

とはいえ、確実にわかっている事実としては岸屋から牧野富太郎に仕送りができなくなって、牧野富太郎が清算した時の番頭が和之助です。

 

牧野富太郎と和之助のエピソードに、こんなものがあります。明治24年(1891)、牧野富太郎が立て続けに日本植物誌図編を出版していた頃です。

富太郎に1通の手紙が届きます。いとこの猶(なお)からです。番頭の和之助と一緒に岸屋を任せていたのが猶でした。

 

「日本植物誌図編」をするために、岸屋にお金を送って欲しいとお願いしていたところに来た返事です。

「こちらからもう送れるものがありません。私では、もう判断することができませんので、一度こちらに帰ってきて判断してください」

 

富太郎の暮らしや出版は、すべて岸屋のお金でまかなっていました。富太郎の研究は、給料がもらえるものではなかったので、すべて岸屋たのみでした。

しかし、富太郎が実家に帰って帳簿を見た時に驚きました。岸屋の商いは、細くなっていて収入よりも遥かに多い金額を富太郎に送り続けてどうにもならなくなっていたのです。

 

富太郎は今後、岸屋に迷惑をかけれないと考え番頭の和之助と話をしています。

「和之助、すまない。岸屋を代々くるしめていたのは僕の勝手だった。岸屋はお前のあげよう。猶と一緒に岸屋をやっていってくれないか。」

 

これに対して、和之助がなんと答えたかはわかりません。番頭として、どうにもならなくなるまで牧野富太郎に仕送りしてたことは、忸怩たる思いがあったのかもしれません。

しかし、岸屋にずっとお世話になったことから、なかなか言えなかったことだったのだと思います。

幸吉と和之助の違い

NHK朝ドラ「らんまん」では、幸吉は幼いころから「峰屋」に出入りする蔵人で、秋から春にかけて酒造りにやってくる人物です。

現時点では、情報が少ないので「らんまん」での幸吉と和之助の違いはわかりません。おそらく、実在モデルではないかとは思いますが、オリジナルストーリーの可能性もあります。

 

朝ドラ「らんまん」の幸吉がやがて、「峰屋」の番頭になっていくことがあれば、間違いないと思います。

そして、どんな形で主人公・万太郎(神木隆之介)と交わっていくのか。その辺りは、実際にドラマが始まってからの楽しみにしたいと思います。



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