この記事では、NHKの朝ドラ「ブラッサム」の西尾一路(染谷将太)の実在モデルである尾崎士郎さんについて紹介します。
また、朝ドラ「ブラッサム」の中で描かれている一路と珠(石橋静河)の恋愛を実在モデルの尾崎士郎さんと宇野千代さんはどうだったのかみていきます。
最後のところでは、朝ドラ「ブラッサム」で描かれている一路と珠と尾崎士郎さんと宇野千代さんとの違いについても解説していきたいと思います。
尾崎士郎とは?
尾崎士郎さんは、明治31年生まれの作家(小説家)です。愛知県幡豆郡横須賀村宮前(現在の西尾市)に生まれ、明治43年(1910)に小学校を卒業。
愛知県立第二中学校では、数学と体操の点数不足で留年を経験します。中学校には、6年間在籍した後、1916年4月に早稲田大学高等予科政治科に入学した。
早稲田大学高等予科政治科に在学中に、社会主義運動にかかわりをもつようになる。大正6年(1917)9月、早稲田大学本科政治経済科に入学。
しかし、学校が嫌になり東洋経済新報社に勤めはじめる。大正7年(1918)、父から郵便局長を継いだ長男が公金を横領してピストル自殺した。そのため、尾崎家は破産。一家で東京に来ることに。
その後、大逆事件真相解明をするために、東洋経済新報社を退社して売文社に入社します。大逆事件を取材してできた「獄中より」が時事新報の懸賞で2位になります。
この時に、1位だったのが宇野千代で、4位だったのが横光利一でした。これより、尾崎士郎さんは小説家で身をたてるようになります。それが大正10年(1921)です。
その後、大正12年(1923)宇野千代さんと結婚し、昭和5年(1930)8月に離婚します。そして、昭和3年に出会っていた古賀清子と結婚します。
昭和8年(1933)都新聞で連載をはじめた「人生劇場」がベストセラーになり大ヒット。「人生劇場」は、映画化になる。
尾崎士郎さんはその後、軍国主義を鼓舞する小説や著作をたくさん書いたことから、戦後に公職追放(政治的発言の禁止、執筆制限)を命じられる。
昭和25年(1950)横綱審議委員会委員に就任します。その年に、公職追放解除されました。昭和29年(1954)雷電を主人公にする「雷電」の相撲小説の連載スタート。
昭和38年(1963)東映映画「人生劇場 飛車角」が公開。大ヒットした本作は、ヤクザ映画の先駆けになりました。昭和39年(1964)2月19日、直腸がんで自宅で亡くなります。66歳でした。
宇野千代と尾崎士郎の出会い
宇野千代さんと尾崎士郎さんの出会いは、時事新報の懸賞で宇野千代さんが1位、尾崎士郎さんが2位になったことがきっかけです。
その時は、表彰式のようなものはありませんでしたが、次の作品「墓を発く」を宇野千代さんが書き中央公論社の瀧田樗陰さんに送りました。
しかし、なんの連絡もなかったので、宇野千代さんは結婚している藤村忠さんに「2日間だけ東京に行く」と約束して東京に行きました。
中央公論社の瀧田樗陰さんを訪ねると、「墓を発く」は中央公論社の雑誌に掲載されていたのです。そして、執筆料をもらいます。
本来なら、そこで北海道に帰るはずでしたが実家の岩国の母・リュウにお金を渡したくて、山口にいったん寄ります。
宇野千代さんは母にお金を渡した後、札幌に帰ろうとします。しかし、東京で乗り換えに時間があったことから、中央公論社の瀧田樗陰さんにちゃんと挨拶をしようと考えます。
そこで、中央公論社に行って偶然会ったのが尾崎士郎さんです。一緒に、評論家の室伏高信さんもいました。
宇野千代さんは、室伏高信さんに誘われて、尾崎士郎さんも含めて3人で食事をすることになります。場所は、尾崎士郎さんが泊まっているホテルです。
途中で、室伏高信さんは帰り宇野千代さんは尾崎士郎さんと二人になります。その日に、二人は結ばれました。
札幌で待つ藤村忠さんには大変失礼な話ですが、宇野千代さんはそのまま東京で尾崎士郎さんと一緒に住むことになります。
宇野千代さんは、たくさんの恋や結婚をしていますが、晩年のインタビューで「一番好きだったのは尾崎士郎」と話しています。なので、この時に一目惚れだったのではないでしょうか。
宇野千代と尾崎士郎との生活
宇野千代さんと尾崎士郎さんは、大森海岸の小さな宿、臼田坂の坂下にある下宿屋、山王の森の中にある家、鉄道線路のすぐ脇にある家などに引越しを繰り返した。
そんな二人をみかねて、都新聞の学芸部長、上泉秀信に「馬込村に来ないか」と言われて世話をしてくれます。
一面大根畑のところに、二人は家ともいえないような小さな家を建てました。二人で寝起きするのも、書き物するのも、同じ6畳の部屋で間に合う。
その最低限の生活も、宇野千代さんは不便だとは思いませんでした。宇野千代さんは一人も友達がいませんでしたが、尾崎士郎さんは社会活動をしていたので、たくさんの友達が訪れてきた。
宇野千代さんと尾崎士郎さんは、尾崎士郎さんが1つ年下でした。それが影響したのか、宇野千代さんは尾崎士郎さんが好むことはなんでもします。
髪を銀杏返しに結い、黒襟をかけた着物を着たりもした。その後、洋間の15畳1室というおかしな家を追加して建てた。
関東大震災のあった時、宇野千代さんは郵便局の為替を実家に送っていました。急いで馬込に走って戻った千代さんは、東京が火の海になったいるのが見えた。
朝鮮人が攻めてくるから逃げろと隣の組からの通達がありましたが、どの方角に逃げればいいのか。どちらから襲ってくるのかもわからなかった千代と尾崎士郎は、屋根裏に隠れた。
隠れている時である、尾崎士郎さんが急に小便をしたくなったことから、宇野千代さんの浴衣の袖を広げて受け止めた。当時の二人は、それほどラブラブだったのです。
不穏な空気
千代は、岩国の母・リュウにも尾崎士郎さんのことを紹介しています。リュウたちは「尾崎士郎のことをええ人」と評した通り、関係は良好でした。
一方、尾崎士郎さんには兄がいました。兄の家族は、馬込に引越してそこには尾崎の母もいました。やがて、千代たちの一階にくるようになり建て増しをして母の部屋も作った。
やがて、女学校を卒業した千代の妹・勝子も上京して住むようになります。勝子はそのため、尾崎の母の隣に住むことになった。
尾崎の兄が隣の家にやってきたことで、尾崎士郎さんと宇野千代さんは留守をお願いできるようになりました。執筆に2人で一緒に、伊豆の湯ヶ島にでかけることもしばしばあった。
湯ヶ島には、川端康成や藤沢恒夫、梶井基次郎などのメンバーがそこで執筆活動をしていた。梶井基次郎さんは、毎晩のように宇野千代さんのところにやってきていた。
当時、梶井基次郎さんは肺結核の第3期でありましたが、そのことは誰も知りませんでした。その頃、宇野千代はおかしいと噂されるようになります。
尾崎士郎さんが馬込に帰ってきても、宇野千代さんは、そのまま湯ヶ島に残って執筆をしている。何かあるのではないかと思われていたのです。何かというのが「梶井基次郎」との関係でした。
別れ
ある日、馬込にいる宇野千代宛てに梶井基次郎から手紙が来ました。東京に用事があるので、馬込の家に寄らせてもらいますという内容でした。
宇野千代は、みんなに梶井基次郎が家に来るということを喜んでもらえると思ってその話をすると、気まずい空気が流れます。
その後、馬込の人達から「やっぱり宇野千代と梶井には関係があった」と言われるようになってしまったのです。
そんな状況の中で、尾崎士郎さんが新聞連載をはじめた「世紀の夜」という小説がヒットします。尾崎さんは収入が増えたことで、毎晩、友人と飲み歩くようになりました。
以前は家で行われていた酒宴が、宇野千代さんを除いて外で行われるようになっていたのです。やがて、尾崎士郎さんは銀座のバーの若い子(古賀清子さん)と親しくなります。
尾崎士郎さんと古賀清子さんは、両家の両親を呼んで結婚式まで挙げていた。それを知らなかったのは、宇野千代さんだけでした。
ある日、尾崎士郎さんに誘われて、宇野千代さんは蟹料理を食べに「沢田屋」に行った。宇野千代さんが行くと、尾崎士郎さんの横にはずっと古賀清子さんがいるではないか。
千代さんは、それに対して気を悪くすることはありませんでした。その頃には、宇野千代さんがおかしいと周囲に言われていることをおぼろげながら気づいていたからです。
酒がまわって、尾崎がいつものように歌いだした。すると、古賀清子も一緒に同じように歌うではありませんか。
その時に、宇野千代さんはすべてのことに気づいたのです。そして、別れを受け入れました。
朝ドラ「ブラッサム」との違い
ここからは、朝ドラ「ブラッサム」の葉野珠と西尾一路と宇野千代さんと尾崎士郎さんの違いについてお伝えしていきます。
基本的には、葉野珠のモデルは宇野千代さんで、西尾一路のモデルが尾崎士郎さんですから、大筋ではこの内容に近い形で描かれていきます。
ただ、出会いのところはさすがに朝ドラではできません。出会ったその日に・・・というのは出来ないので大幅に脚色はされています。
しかし、珠の妹・俊子(伊東蒼)が馬込に来て住み始めたりするので、出来る限り史実通りに描いていることがうかがえます。
宇野千代さんの面から、見た話にはなりますが今回の朝ドラ「ブラッサム」の原作とも呼べるのがこちらになります。
あなたにおススメのページ
宇野千代の恋愛遍歴がすごい!子供は?
藤村忠と宇野千代の別れは衝撃的!
朝ドラ「ブラッサム」原作はコチラ
ブラッサム公式ブックはコチラ
ブラッサム ネタバレ,あらすじまとめ









明治31年(1898)2月5日生まれ
昭和39年(1964)2月19日66歳没
職業:作家(小説家)
宇野千代と結婚期間:大正12年(1923年)5月~昭和5年(1930)8月